《キッシンジャー:南米で「戦争屋」と呼ばれた男=軍事独裁政権を支持した男》

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ブラジル最大の独立系ニュースサイトBrasil247によると、ヘンリー・キッシンジャー氏は「戦争屋(Senhor da Guerra)」として知られ、ラテンアメリカで軍事クーデターを組織したと伝えられています。彼はノーベル平和賞も受賞しています。しかし、日本や欧米では彼の経歴の「功」に焦点を当て、彼の「罪」に触れる報道は控えめです。一方、ブラジルではその逆で、「罪」にスポットを当てる記事が多くなっています。その理由は、彼の負の業績がブラジルにおいて現在でも根強く残っているからなのです。

チリ外交官「深い道徳的悲惨さを隠さなかった男」

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キッシンジャーの「罪」が最も言及されるのは、チリの左派弾圧と反体制派迫害を支持したことです。彼は数千人の死者と行方不明者を出し、数千人の政治犯を拷問したチリ軍事独裁政権(1973年〜1990年)を支持しました。スペイン語版BBCの記事によると、キッシンジャーは冷戦が熱くなったラテンアメリカで直接的な影響力を持っていたとされています。彼はアメリカ大統領のリチャード・ニクソンに対し、チリの社会主義大統領であるサルバドール・アジェンデの民主的な選挙が、この半球で直面した最も深刻な挑戦の一つだと指摘しました。さらに、彼は南米の国々が「選挙で選ばれ、成功したマルクス主義政権」の見本になることを恐れ、CIAの長官にチリを防衛するように要請しました。

キッシンジャー氏は、自国の国益を優先するという冷徹な発想を持っていました。チリの外交官で元アジェンデ政府高官のフェルナンド・レイエス・マッタ氏は、「キッシンジャーのチリへの執着は、社会主義ユートピア計画に向けて前進するためにアジェンデが選択した(民主的)道に対するものだった。この実験が成功すればイタリア、フランス、ギリシャなどの欧州諸国に広がる可能性がある」と語りました。

その結果、左派のサルバドール・アジェンデ政権は1973年にCIA支援のクーデターによって打倒され、軍事政権のアウグスト・ピノチェト将軍が権力を握りました。ヴェージャ誌の記事によると、「深い道徳的悲惨さ」は、チリの国民によってキッシンジャーの死に対する反応として強く表されました。フアン・ガブリエル・バルデス駐ワシントンチリ大使は、「歴史的な輝かしさにもかかわらず、その深い道徳的悲惨さを決して隠すことができなかった男が亡くなった」と述べました。

「日本ニュース24時間」では、キッシンジャーの軍事独裁政権支持の歴史を探求し、彼の「罪」に焦点を当てる報道をしています。

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