執筆休止から1カ月で逝った作家、伊集院静さんは希代のモテ男だった

伊集院静さん
2011年3月、静かな口調で語る伊集院さん

作家の伊集院静さんが先日亡くなりました。73歳の若さでした。彼は「機関車先生」などの小説や多くのエッセーを書き、ヒット曲「ギンギラギンにさりげなく」の作詞も手掛けた人物です。彼は芸能記者たちにとって「希代のモテ男」として知られています。CMディレクターとしても評価が高く、多くの女優たちと親交がありました。彼の魅力は、自分自身を貫きながらも他人の考えをしっかりと受け止める懐の深さと優しさにありました。女性からも魅力的に映っていたのです。

夏目雅子さんとの結婚

前妻で女優の夏目雅子さんとの交際や結婚、そして死別は私が取材を通じて間近で見てきた出来事でした。当時の記事やメモを振り返ってみると、彼がモテる理由が分かる気がします。

1983年の冬、夏目さんとの結婚の噂が広まりました。私は逗子の海岸に面した瀟洒なホテルの出入り口を締め切る時間まで張り込みました。伊集院さんは海が好きで、このホテルを仕事場にすることもあったのです。しかし、その寒い冬の中でも車の中から寒さを感じました。

彼らがここで何度か会っているという確かな情報がありました。当時、人気の絶頂にあった夏目さんがこんな遠い場所までわざわざ訪れる理由に思いを馳せました。この取材は結局、成功しないまま終わりました。

30代前半の頃は、彼のモテ期のピークだったのかもしれません。実は、その少し前には他の女優との交際の噂もありました。後年、ある女優から「あの頃はいろいろ大変だった。今は『ベトナム戦争は終わった』って感じでお話できるけどね」と、当時の思い出を明かされました。

結婚への思い

夏目さんが伊集院さんとの交際について初めて語ったのは、張り込みから約5カ月後の1984年4月でした。この時、彼女は主演映画「瀬戸内少年野球団」のロケ地である淡路島で初めて交際について話しました。

「(挙式の日取りは)いま、少しずつ固めているところです。きちんと結納をかわし、すじ道を立て、双方の家族の気持ちを大切にしたい」

私は正直、結婚への具体的な話が出たことに驚きました。伊集院さんが再婚ということもあり、言葉選びには慎重さが感じられました。しかし、彼女は驚くほど率直に結婚への思いを明かしました。夏目さんはお嬢さま女優というイメージが強かったのですが、彼女の本音が伝わってきたように感じました。恋の勝者である伊集院さんの魅力には、再び私は惹かれることとなりました。

別れと篠ひろ子さんとの結婚

2人は同じ年の8月に婚姻届を提出し、伊集院さんがこだわった海の見える鎌倉に新居を構えました。しかし、半年後に夏目さんは白血病に倒れてしまいます。

1カ月後に行われた会見で、伊集院さんは質問攻めになりながらも当時は難しい病名を堂々と公表しました。夏目さんが仕事に復帰することへの熱意は本物だと思いました。彼は、夏目さんが会見の内容を見聞きすることを想定していたのでしょう。その場面を見た時、彼がどれほど神経をすり減らしたことか考えさせられました。

「いくつかの報道を見て、ちょっとショックをうけたようですが、僕が説明して納得してもらった」

彼は悲観的な態度を見せませんでした。そして、その1カ月後、夏目さんはあまりにも突然亡くなりました。

葬儀の日、伊集院さんはメディアの前に姿を現しませんでした。彼は守るべきものを失い、コメントする必要を感じなかったのかもしれませんし、また、彼女を静かに送りたかったのかもしれません。私は葬儀所の鯨幕の間から、伊集院さんが遺影の前にじっと立つ姿を見ました。夏目さんのマネジャーによると、「1時間以上そのままでした」と明かしました。

彼を送り出した妻で女優の篠ひろ子さん(75)との結婚は、その後の7年後に行われました。篠さんは夏目さんとはタイプが違いますが、彼との結婚は多くの男性がうらやむものでした。彼女は「時間ですよ」で演じた小料理屋のおかみ、お涼さん役以来、いつも静かに耐える姿勢で知られていました。97年からは女優業を休止し、伊集院さんとの生活を大切にしてきました。

彼が添い遂げた人々や別れた人々からは、不満の声を聞くことはありません。それこそが伊集院さんの大きさの証しであり、彼が希代のモテ男だった理由を改めて思い知らされるのです。

Source link: 日本ニュース24時間