フィリピンに、旧日本海軍の戦艦「山城」をモチーフにした知事公館が誕生しました。この知事公館がなぜ山城をモチーフに選んだのか、その理由を探ってみましょう。
スリガオ海峡に沈んだ旧日本海軍の戦艦「山城」とは?
山城は、「扶桑型」と呼ばれる純国産戦艦の2番艦です。日本海軍が初めて自ら作った戦艦で、1917年に竣工しました。扶桑と比べると、山城ではバランスの取れた形状に改良が施されています。
太平洋戦争が勃発すると、山城はミッドウェー海戦に主力部隊として出撃しましたが、戦闘の機会はありませんでした。その後も力不足と見なされ、後方任務や練習艦として運用されていました。日本の敗北が明確になってきた時にようやく前線に投入され、1944年10月には激戦となったレイテ沖海戦に参加しました。そして、フィリピンのスリガオ海峡で扶桑と共に撃沈されました。
2017年12月には、米資産家のポール・アレン氏の調査チームがスリガオ沖の海中で山城の船体を発見しました。戦闘と海流の影響で船体はかなり損傷していたそうです。
「山城」が知事公館のモチーフになった理由とは?
フィリピン通信社(PNA)の報道によると、スリガオ湾に近いディナガット・アイランズ州の知事公舎が山城をモチーフに選んだそうです。知事自身がゲーム好きだったからというよりは、意外な理由があるようです。
政府機関「フィリピン情報局」(PIA)の発表によると、山城が沈んだスリガオ海峡海戦は、当時フィリピンが日本占領下からの解放に繋げる重要なステップだったそうです。ディナガット・アイランズ州は、この歴史的な遺産を忘れないようにするために、知事公館のモチーフに山城を選んだのだそうです。
ニロ・デメリー・ジュニア知事は知事公館の落成式で、「歴史に関する小さなランドマークや地元行事だけに頼っていると、島で構成された私たちの州は忘れられがちです。旧日本海軍の戦艦・山城は、私たちが受け継ぐべき歴史的遺産を体現しています。この巨大な建造物は、世界と未来の世代に、私たちが歴史に深く関わっていることを思い起こさせるものです」と述べました。
「なんで…?」日本のネットも困惑
このニュースは日本でもネット上で話題になり、多くの反応が集まっています。
「本当に軍艦みたいな外観……ちょっと観に行ってみたいです」
「ここが新しく艦これやアズレンの聖地になるのか…?」
「まさかのリスペクトして頂いて嬉しい」
フィリピンの人々にも日本の人々にも、この知事公館を通じて歴史を詳しく知るきっかけになるといいですね!
Source link: 日本ニュース24時間