日本の政治評論は、表面的な政局を論じるだけの人物論に傾きがちである。大局的な政治哲学、戦略に関しては語られることが少ない。テレビで物知り顔で解説している「政治評論家」の多くは時局にしか興味が及ばず、「政局解説屋」とでも呼ぶべき講釈師だ。それを聞く視聴者も漫談的であればよく、おもしろおかしく聞き流している。
著者の乾正人氏は産経新聞論説委員長。首相官邸番から政治部長、編集局長を歴任し、30年にわたって永田町を見つめてきた。平成日本の政治を敗北に導いてしまった「A級戦犯」は小沢一郎、河野洋平、竹下登だったとズバリ言い切り、さらに「国賊議員があとを絶たない」のはなぜか、巨悪中国を造った親中派の懲りない面々とは誰々か。
そして「安倍一強」の功罪も最後に論じていて流行の政局解説ではない。政治を動かす要素の一つはカネである。理想で奔走する政治家はまれにしかいない。かの「宇宙人」に群がったのはカネであった。田中角栄、金丸信など理想が希薄な政治家に多くが群がったのもカネの磁力、あるいは魔力である。
「小沢一郎は権力とカネを掌中に置くことを最大の目的に永田町を半世紀にわたって歩んできた。目的がぶれない、という点でこれまた端倪(たんげい)せざるを得ない」と著者はいう。だからこそ、小沢は「大変節を恬(てん)として恥じない」ことができるのだ。
「平成の戦犯」の東の横綱が小沢一郎なら西の横綱は河野洋平と指摘。同時に宮沢喜一も戦犯だという。「彼(宮沢)には確固とした政治理念がないからこそ、強いのである」「実行力のある政治家ではなく、問題を的確に指摘できる評論家に過ぎなかった」。だから「失われた二十年」を醸成したのは宮沢の優柔不断からだった。
これら悪習をぶち破り、ようやく再生の道を開きかけたのが安倍晋三だった。安倍はカネに群がる政治を断ち切ろうとして、理想を掲げてカムバックした。しかし「一強時代」も長引くと必ず綻(ほころ)び、疲労が出てくる。あの重度に疲れ切ったさまを目撃していると、エネルギー切れを感じるのは評者ばかりではないだろう。鋭い筆法は、そのことも文中で示唆している。(ビジネス社・1400円+税)
評・宮崎正弘(評論家)