竹入義勝・元公明党委員長が死去 「中道革新」掲げ与野党に影響力

竹入義勝(たけいり・よしかつ)さん、公明党の元衆院議員であり、公明党委員長を20年間にわたって務めた方が、福岡市内の病院で肺炎のために亡くなりました。享年97歳で、葬儀は家族だけで行われました。長男の正彦さんが喪主を務めました。

竹入氏は、国鉄職員から始まり、東京都文京区議、都議を経て、公明党が初めて衆院に進出した1967年1月の総選挙で当選しました。そのわずか1ヶ月後の2月には、わずか41歳で党委員長に就任しました。竹入氏は連続8回当選し、86年12月の党大会で委員長を辞任するまで、矢野絢也書記長とのコンビで公明党の一時代を築きました。

この期間、竹入氏は反自民の「中道革新路線」を掲げ、社会党や民社党との連合政権を目指す「社公民路線」を掲げました。同時に、自民党とも緊密な関係を築き、その影響力を強めました。84年には「田中(角栄元首相)支配の打破」をスローガンに掲げ、鈴木善幸元首相や民社党の指導者と協力して二階堂進自民党副総裁を総裁に推し進める「二階堂擁立劇」に参画しました。この試みは失敗しましたが、田中政権の崩壊のきっかけとなりました。

竹入氏の死は、政界に大きな影響を与えることでしょう。彼の功績と彼が掲げた「中道革新」の理念は、今後の与野党の動向にも大きな影響を与えるでしょう。

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