おにぎり店「ぼんご」の女将・右近由美子さん 「夫の介護」「借金」「睡眠不足」の三重苦にも打ち勝った“おにぎりを握り続ける理由”


【写真あり】人気具材の「すじこ×さけ」「卵黄×肉そぼろ」

東京・大塚の大人気おにぎり店「ぼんご」の二代目女将・右近由美子さん(72)。19歳で地元・新潟の実家から家出し単身で上京。大塚のおにぎり屋「ぼんご」の味に感動した右近さんは、27歳年上の店主・祐(たすく)さんの優しさに惹かれ、24歳で結婚した。

はじめは皿洗いなどの手伝いをしていたが、従業員の相次ぐ急病をきっかけに30歳で自らも厨房に立ち始めた。お客の厳しい苦情に悩みながらも徐々に納得のいくおにぎりを作れるようになったという右近さん。しかし、行く手にはさらなる困難が待ち受けていた。

■夫の心筋梗塞、借金返済、極度の睡眠不足。満身創痍の状況に一本の注文電話が――

お客の様子を見ることができるようになったと同時に、具材の味付け、ご飯の量などさまざまな改善をしていった。

「私が独自に考えたのは、にんにくやアンチョビを使ったペペロンチーノおにぎりとカレーおにぎりくらいで、残りの具材は全てお客さんのアイデアや声を反映したものです」

テレビで店が紹介されると、さらにお客も増え、従業員を抱えるように。順風満帆な経営が続いたが、祐さんは70歳をすぎたころから肺炎や膵臓の病気で入院を繰り返し、77歳のときには自宅で脳梗塞を発症してしまった。

「主人は異変に気づき、自分で救急車を呼んだようですが、部屋の鍵が開けられず、1階に住む親戚に助けてもらったそうです。

親戚が店にいる私に連絡して状況を教えてくれましたが、それまでも何度か救急車を呼んだこともあったので、深刻に受け止められず、夕方に仕事がひと段落した時に病院に向かいました」

祐さんは一命をとりとめたものの、医師からはまひなど後遺症の可能性を告げられるほど症状は重かった。

「私には店もあるし、施設に入れるしかないと思ったのですが、医師からは認知症の危険性があるからと反対されて……。

それで自宅の1階に住む親戚に主人の介護をお願いして、私はお店や夫、従業員、親戚家族のためにとにかく働いてお金を作ることにすべてをささげたんです」

当時、店には仕入れ先などから借金が1千万円ほどあり、未払いの年金や税金が400、500万円ほどあった。しかも祐さんは一般病棟を嫌がり、1日2万円の特別個室から出たがらない。生命保険も解約して、手元にあるお金を全部使い果たしたが後悔はなかった。

「結婚して、ぼんごで働いて得たお金は、もともと私のものじゃありません。主人のために使うことに何のためらいもありませんでした。新潟から出てきたときの無一文同然に戻るだけですから」



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