元NHKアナウンサー、今はフリーになった武内陶子です。AERA dot.連載第2回。まだまだ初めましてのごあいさつですね。ということで、そもそも私はどうしてNHKのアナウンサーになったのか?
今でもよく聞かれます。「アナウンサーになりたい!」という学生さんにお会いすることもあるのですが、いつもは「それは聞いても参考にならないから」とあまりお話ししません。アナウンサー志望の学生さんたちには、なぜこの仕事を目指すのか自分自身で考えてほしいし、実は話せば長くなるということもあり(笑)。でも、ここなら話せそうなのでお話ししてみましょうか。
私は愛媛県の出身。しかもかなりの田舎の出身です。東京に来たのは受験の時が初めて。しかしぜ~んぶ見事に失敗して、憧れの東京はいつしか遠い存在に。でも「いつか東京に住んで働いてみたい」という淡い期待のような、しかし確信のようなものをずっとあたためていました。
私は4人姉妹の長女で、ものごころついたころから3人の妹たち(すぐ下は年子、そして7歳と9歳離れた妹)のリーダー的存在でした。常に妹たちを取りまとめ、家族のためのサプライズパーティーなどを企画するのが無上の喜びで。もちろん学校でも学級委員、そして児童会長もやりました。完璧な長女気質、生来の仕切り屋ですね。人前で話をすることも全く苦ではなく、小学校の時の恩師には「陶子さんはアナウンサーになると思っとった」と言われたことがあります(ほんまかいな笑)。振り返ってみると、幼いころからアナウンサーへ続く道のいろいろなヒントがあったことに改めて気づきますが、最終的には、大学時代のカナダへの留学が決め手でした。
カナダの上空を飛行機で飛んでいた時のこと。お隣に座っているカナダ人の紳士と仲良くなり、楽しくお話ししておりました。すると窓の外に見える山がまるでパッチワークのような模様でとても面白くて。気持ちを伝えたがりのトーコとしては、これはチャンス!と、その紳士に伝えたわけです。「カナダの山ってパッチワークみたいでso cute!」とかなんとか。そうしたら急にその人の顔が曇り、怒り出すじゃありませんか。「君は、カナダの山がどうしてあんなふうになっているのか知らないのかい? 君たち日本人がカナダの木材を切って全部持って行っちゃうからじゃないか」と。