「初めて心の底から殺意が沸いた…」14歳女子中学生を追い詰めた「父の制裁」とは


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● 父からの壮絶な虐待 忘れられない記憶

 忘れようにも忘れられない記憶は、10歳。

 毎日、本格的に両親と闘って、もうどうしようもないところまで追い詰められていた、ある日のことだ。

 その頃の私は、夕方になって父の車の音がするのを心底、恐れていた。

 母にも当然のように怒られてはいたのだが、父のほうが圧倒的に怖かったのだ。

 なぜならば、父は怒鳴りながら手を出す人だったから……。

 私たちきょうだい3人は、父から怒られるとき、ゲンコツを喰らうのは当たり前の環境にいた。それに、機嫌の読めない人でもあったので、笑った直後に怒る、などもしょっちゅうで、二重の意味で怖い人であった。

 その日は、夕方ではなく昼間に車の音がした。

 怒り心頭に発した母が、父に電話をしていたのだ。そして、今までにない緊張感と共に、玄関のドアの開く音がした。

 平凡な2階建て3DKの社宅。その2階の和室が私と姉の部屋だった。平日の昼間なので、当然のことながら部屋には私ひとりきり。危機を察知した私は、襖に木刀を突っ掛けて入り口をロックした。

 “ソレ”をするのは、そのときが初めてではなかったと思う。いつも両親の怒りから逃げるために使っていた手段だった。そして、それはほんの少しの時間稼ぎにしかならないこともわかっていた。

 階段を上ってくる足音。

 絶望の音がした。

 ここで私の記憶は少し途切れる。

 気がつけば、部屋の外の狭い踊り場で、私は父に叱責されながら叩かれていた。

● ジンジンと疼く頬 みみず腫れだらけの手足

 身を守るために体を丸めていたので、土下座のような格好に見えていたと思う。なぜかこのときの記憶は、上から自分の背中を俯瞰で見ているものになっている。ベルトやら何やらで鞭打たれながら、私はずっと無言で耐えていた。止めどなく流れる涙は、悔し涙だった。なぜ、苦しい思いをしている自分がさらに怒鳴られ、殴られなければならないのか。

 痛い。苦しい。悔しい、くやしい。

 「学校に行くと言え!」と言われ続けていたように思うが、痛みに耐えるのに必死で意識も遠くなりかけていた。

 やがて、責め続けるのに疲れたのか、それとも飽きたのか、父は手を止めた。どれくらいの時間が経っていたのだろう。やっと解放された私は、西日の差しかかった部屋で、ビンタを受けジンジンと疼く顔のまま、みみず腫れだらけの手足を見つめていた。



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