「散骨」「樹木葬」など“シンプルな弔い”が流行する裏でトラブルも続出 「なぜ教えてくれなかったの?」と後日遺族に苦情が届くケースも


【表】「一緒に眠りたい人」「してほしい供養」など、自分のお墓に希望することチェックリスト

 だが、『自分らしい逝き方』の著者で日本葬祭アカデミー教務研究室代表の二村祐輔さんは、最先端の「シンプルな弔い」が失敗や間違いを生むことがあると指摘する。

「葬儀において、『粗雑』と『簡素』をはき違えている人が少なからずいる。そもそも人の死は社会的な出来事なのに、“家族だけで見送るから”と亡くなったことすら親族のみにとどめて他人に知らせない傾向があります。

 でもその結果、“なぜ教えてくれなかったの”“私はあの人を見送りたかった”と後日遺族へ苦情が届くトラブルも増えています」

これからどこで手を合わせたらいいのでしょうか?

「よく、後に残された家族の負担になりたくないからと『墓はいらない』『遺骨は海にまいてくれ』と主張する人がいますが、実際に亡くなった父親が望んだとおり海での散骨を終えた子供たちが、『ぼくたちはこれからどこで手を合わせたらいいのでしょうか?』と相談に来たことがあります。

 遺骨を粉砕してダイヤモンドに加工してアクセサリーを作る『ダイヤモンド葬』も“小さなネックレスだからうっかりなくしてしまった”という問い合わせも少なからずあるそうです。

 故人を思って手を合わせるにはモニュメントが必要です。葬儀やお墓の簡素化は、残された人の弔いの気持ちを持って行く場を奪ってしまう可能性があります」(二村さん)

「数年前に夫が亡くなり、私も終活にとりかかりました。いちばん苦労したのはお墓です。子供たちの負担になってはいけないと、お寺と相談して墓じまいをしました。ところがそれを伝えたら、『年に1回でもお墓参りすることでお父さんを偲べたのに、ひどい』と非難囂々。墓じまいにかかった費用も額が大きすぎるとお寺にクレームを言ったりして、お寺との関係も険悪になってしまいました」

 自分のため、残された大切な人のため──よかれと思って進めてきた「最期の準備」で立つ鳥跡を濁すことがないよう、ゆっくり、しかし着実な方法で「その日」に向けて歩き出そう。

※女性セブン2024年10月24・31日号



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