命を全うし、旅立った後には残された人たちがその死を悼み、思いをはせる「弔い」のときがやって来る。
近年は直葬や家族葬など葬儀の簡素化が進み、埋葬方法も遺族が区画を用意して建墓し管理や供養を行う「一般墓」ではなく、粉末にした骨を海や山などにまく「散骨」や墓石の代わりに樹木をシンボルとする「樹木葬」などが流行している。
だが、『自分らしい逝き方』の著者で日本葬祭アカデミー教務研究室代表の二村祐輔さんは、最先端の「シンプルな弔い」が失敗や間違いを生むことがあると指摘する。
「葬儀において、『粗雑』と『簡素』をはき違えている人が少なからずいる。そもそも人の死は社会的な出来事なのに、“家族だけで見送るから”と亡くなったことすら親族のみにとどめて他人に知らせない傾向があります。
でもその結果、“なぜ教えてくれなかったの”“私はあの人を見送りたかった”と後日遺族へ苦情が届くトラブルも増えています」
これからどこで手を合わせたらいいのでしょうか?
お墓に関しても同様だ。
「よく、後に残された家族の負担になりたくないからと『墓はいらない』『遺骨は海にまいてくれ』と主張する人がいますが、実際に亡くなった父親が望んだとおり海での散骨を終えた子供たちが、『ぼくたちはこれからどこで手を合わせたらいいのでしょうか?』と相談に来たことがあります。
遺骨を粉砕してダイヤモンドに加工してアクセサリーを作る『ダイヤモンド葬』も“小さなネックレスだからうっかりなくしてしまった”という問い合わせも少なからずあるそうです。
故人を思って手を合わせるにはモニュメントが必要です。葬儀やお墓の簡素化は、残された人の弔いの気持ちを持って行く場を奪ってしまう可能性があります」(二村さん)
葬儀や墓は、家族や知人とのつながりを示すものであり、効率化を求めることが正解とは限らない。埼玉県在住の主婦・Aさん(78才・仮名)が後悔を口にする。
「数年前に夫が亡くなり、私も終活にとりかかりました。いちばん苦労したのはお墓です。子供たちの負担になってはいけないと、お寺と相談して墓じまいをしました。ところがそれを伝えたら、『年に1回でもお墓参りすることでお父さんを偲べたのに、ひどい』と非難囂々。墓じまいにかかった費用も額が大きすぎるとお寺にクレームを言ったりして、お寺との関係も険悪になってしまいました」
自分のため、残された大切な人のため──よかれと思って進めてきた「最期の準備」で立つ鳥跡を濁すことがないよう、ゆっくり、しかし着実な方法で「その日」に向けて歩き出そう。
※女性セブン2024年10月24・31日号