厚生労働省の「被保護者調査(令和5年度確定値)」によると、生活保護を受けている総世帯数は約165万世帯にのぼります。このうち、実に57%以上を占める約94万世帯が65歳以上の高齢者世帯であり、生活保護制度が高齢者の暮らしを支える重要なセーフティネットであることを示しています。現役で安定した収入を得ている世代にとって、「老後の困窮」は遠い未来の話に聞こえがちです。「自分には年金も退職金もあるし、貯蓄や投資もしているから大丈夫」と考えるのも無理はありません。しかし、現役時代に高い所得を得ていたとしても、ある状況下で生活が一変し、経済的に困窮してしまうケースは決して珍しくありません。特に注意すべきなのが、夫に家計を任せていた「高齢の妻」が直面する経済的な困難です。実際にどのような問題が潜んでいるのか、その実情を見ていきましょう。
老後の家計に不安を感じ、通帳を確認する女性の姿。夫婦の貯蓄が突然激減する現実と、老後破産の危険性を示唆するイメージ。
貯蓄3,500万円で悠々自適な老後のはずが…
大手メーカーに長年勤めていた安田崇さん(仮名/享年69)は、定年を迎え、悠々自適な老後生活を送るはずでした。60歳で退職する頃の年収はおよそ900万円。二人の娘を私立大学に通わせるなど教育費はかかったものの、手元には1,500万円の貯蓄が残り、さらに退職金として2,000万円を受け取っていました。リタイア直後の資産は合計3,500万円に上り、老後の資金計画は万全に見えました。
住まいはひとりっ子の妻・奈美子さん(仮名/69歳)が相続した実家だったため、住宅ローンもありません。奈美子さんは23歳で崇さんと結婚して以来、一度も働くことなく家庭を守ってきました。誰もが羨むような理想的なリタイア生活が始まったかに見えましたが、その裏ではすでに夫婦の未来に暗雲が立ち込めていたのです。
妻が知らなかった「1,200万円の損失」
60歳で退職し、年金が支給される65歳までの5年間、崇さんは再就職を選びませんでした。「会社のために身を粉にして働いてきたんだ」という強い自負があり、ようやく手にした自由を謳歌したいという気持ちでいっぱいだったのです。会社の元同僚と頻繁にゴルフに出かけ、外車を買い、自宅をリフォームするなど、その支出は現役時代を上回るほどでした。水を得た魚のように生き生きとする夫の姿を、奈美子さんは喜び、何の疑いもなく見ていましたが、家計の現実は深刻な状況に陥っていました。
さらに悪いことに、崇さんはSNSで知り合った人物に勧められた「海外の不動産投資」の話に乗り、奈美子さんに内緒で1,200万円もの大金を投じてしまいます。しかし、それは典型的な投資詐欺の手口であり、多額の資産が一瞬にして失われる結果となりました。
65歳になり、年金生活が始まった時点で、夫婦の金融資産はわずか500万円にまで激減していたのです。老齢年金は夫婦二人分で月額28万円ほど。この金額では、贅沢どころか、これまでの生活水準を維持することも難しい状況でした。さすがの崇さんも事の重大さに気づきましたが、妻の奈美子さんは家計の管理をすべて夫に任せており、夫の収入や貯蓄額さえ正確に把握していなかったため、この深刻な事態については全く知りませんでした。崇さんは「月28万円もあれば、なんとか暮らしていけるだろう」と自分に言い聞かせましたが、不運はそれで終わらなかったのです。
結論:老後資金の管理と情報共有の重要性
安田崇さん夫妻の事例は、たとえ現役時代に十分な貯蓄や退職金があったとしても、定年後の生活において予期せぬ落とし穴が存在することを示唆しています。計画性のない支出や、安易な投資詐欺への遭遇は、あっという間に大切に築き上げた老後資金を枯渇させてしまう可能性があります。特に、夫婦の一方が家計のすべてを管理し、もう一方がその実態を把握していない場合、リスクは格段に高まります。
「老後破産」は決して他人事ではありません。安定した年金生活を送るためには、夫婦間での透明な家計管理、資産状況の定期的な共有、そして不審な投資話に対する警戒心を持つことが極めて重要です。本記事で紹介した事例から、私たちは「自分には関係ない」と考えずに、老後資金の計画と運用について真剣に向き合い、具体的な対策を講じることの必要性を強く認識するべきです。シニア世代の夫婦が安心して暮らすためにも、互いに協力し、情報共有を徹底することが、経済的な困難を乗り越える鍵となるでしょう。
参考文献
- 厚生労働省「被保護者調査(令和5年度確定値)」
- 【早見表】年金に頼らず「夫婦で100歳まで生きる」ための貯蓄額〈2025年最新版〉