運命の出会い! テニスコートで皇太子と美智子さまが火花を散らした日

皇室の歴史を塗り替える「世紀のロマンス」の始まりは、避暑地・軽井沢のテニスコートだった。1957年8月19日、皇太子と美智子さまの運命的な出会いが、軽井沢会テニストーナメントで実現した。

テニスに熱中する皇太子と運命のトーナメント

当時、皇太子は例年通り軽井沢でテニスに熱中していた。8月12日には軽井沢国際テニストーナメントに出場するも惜敗。しかし、その雪辱を果たすべく、18日から開催されるABCDトーナメントに参戦する。

このトーナメントは、実力が拮抗するようにペアが組まれる親睦大会。皇太子は、早稲田大学の石塚研二氏とペアを組み、大会に挑むこととなった。

初対面の印象は? 美智子さまのテニススタイルに周囲も驚き

一方、聖心女子大学のテニス部で活躍していた美智子さまは、持ち前の粘り強いプレイスタイルでテニス仲間から定評があった。

「地味で堅実なテニス」と評される美智子さまのテニスは、派手なウィニングショットこそないものの、どんな球も確実に拾い、パートナーに絶好球を導く。

美智子さまの粘り強さに、テニス部仲間だった松平多美子さんは「精神的な揺れが少ないのでピンチに強く、パートナーとしてこんなに信頼できる方はいませんでした」と語っている。

熱戦!皇太子vs美智子さま、試合の行方は…

運命の19日、準々決勝で皇太子ペアと美智子さまペアが激突。下馬評では、長年テニスのコーチを受けてきた皇太子ペアが有利と見られていた。

試合は、第一セットこそ皇太子ペアが6-4で先取するも、第二セットからは美智子さまペアのペースに。美智子さまは、コートを縦横無尽に走り回り、皇太子の強烈なショットをことごとく拾い返す。

東宮侍従の浜尾実氏は当時を振り返り、「美智子さまは、コートの端から端へ、実によく走られた。どんな球でもあまりに確実に返されるので、陛下もイライラされたのだろう、相手のコートに強く打ち込まれようとするのだが、全部ネットになってしまう」と語っている。

試合は、予想を覆す大接戦となり、観衆を大いに沸かせた。

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運命の出会いから始まる物語

このテニスの試合は、後に「世紀のロマンス」と呼ばれる皇太子と美智子さまの恋の始まりとなった。

二人の出会いが、日本の皇室にどのような変革をもたらすのか、誰もが想像だにしなかっただろう。