なぜ高野連は批判されても「酷暑の甲子園」をやめないのか…「球児の憧れだから」だけではない”苦しい大人の事情”


 今年は数々のドラマを生んできた阪神甲子園球場(兵庫県西宮市)の開場100周年イヤーである。王貞治、清原和博、イチロー、松井秀喜、松坂大輔、ダルビッシュ有、大谷翔平……。日米で活躍した多くのプロ野球選手が、甲子園から巣立っていった。

【画像】2009年夏の甲子園決勝

 その「聖地」は、次なる100年に向け、装い新たに生まれ変わる。いや、「完全復活」と呼んだほうが正しいだろうか。球場を運営する阪神電鉄が、内野の一部座席を覆う「銀傘(ぎんさん)」と呼ばれる屋根を、一、三塁側のアルプス席まで拡張する計画を発表した。拡張後は、アルプス席の約7割を覆うことが可能となり、中段付近の日照時間は真夏の1日あたりで約6時間減少する見込み。11月から着工し、2028(令和10)年3月に完成予定だ。

 会見に出席した阪神電鉄の谷本修取締役は「昨今の真夏の猛暑など、環境の変化に柔軟に対応していくことが大切」と話せば、日本高野連の寶馨(たから・かおる)会長も「大変有意義な素晴らしい計画。連係して高校野球の未来を描きながら、さらなる発展に努めていきたい」と同調する。今や観客の猛暑対策として欠かせないものとなった銀傘の拡張を歓迎する声は多い。

■かつてはサッカー、ラグビー、歌舞伎も開催

 甲子園球場は、開場した1924(大正13)年が、暦の干支を構成する「十干(じっかん)」と「十二支(じゅうにし)」それぞれの最初である「甲」と「子」が60年ぶりに重なる縁起のよい「甲子(きのえね)」の年だったため、その名が付けられたことは有名な話だ。

 ただ、完成時は「甲子園大運動場」という名称で、もともとは野球以外の他競技も開催することを念頭に設計されたことはあまり知られていない。今でも12月にはアメリカンフットボールの学生日本一を決める「甲子園ボウル」が行われるほか、かつては高校サッカーや高校ラグビーの全国大会、さらにはスキーのジャンプ大会や、歌舞伎も開催された。銀傘は、雨中でも試合や催し物を観ることができる、いわば「雨よけ」として設置されたのが始まりなのだ。

 当初、内野のメインスタンドまでを覆っていた鉄製の屋根は「鉄傘(てっさん)」と呼ばれ、1931(昭和6)年にはアルプス席(1929(昭和4)年完成)まで拡張。「大鉄傘(だいてっさん)」と呼ばれるようになった。ただ、雨よけとして誕生した鉄傘は、従来の目的とは別の用途で好評を博した。

 それは、真夏に開催される「全国中等学校優勝野球大会」(現・全国高等学校野球選手権大会)を日陰で観ることができるということだ。特に日焼けを避けたい女性から大好評で、野球ファン開拓に多いに役立った。



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