皇室最高齢の三笠宮妃百合子さまが、2024年11月15日午前6時32分、ご入院先の聖路加国際病院(東京都中央区)で逝去されました。101歳でした。この記事では、百合子さまの凛としたご生涯、そして戦前の皇室を知る最後の皇族として過ごされた日々を振り返ります。
昭和天皇の弟宮妃として、激動の時代を生き抜く
百合子さまは、1923年(大正12年)、高木正得子爵の次女として誕生されました。女子学習院本科をご卒業後、1941年(昭和16年)、三笠宮崇仁親王とご結婚。華族制度下での最後の妃殿下となられました。
alt="百合子さま、全国大会でのご様子"
戦中、戦後と激動の時代を生き抜き、三笠宮さまとの間に3男2女をもうけられました。多くの国民から敬愛される存在となられましたが、2002年に三男の高円宮憲仁親王、2012年に長男の寛仁親王、2014年には次男の桂宮宜仁親王と、相次いで3人の息子に先立たれるという深い悲しみを経験されました。さらに、2016年には、長年連れ添った夫の三笠宮さまも薨去されました。
貞明皇后の薫陶を受け、皇室の伝統を守る
ノンフィクション作家の工藤美代子氏によると、百合子さまは、大正天皇の皇后である貞明皇后を深く尊敬し、その薫陶を受けた方でした。「貞明さまには、実の娘のように可愛がっていただいた」と、生前、度々思い出を語られていたそうです。
映画上映会での出会い、そして結婚へ
百合子さまと三笠宮さまの出会いは、1941年1月、貞明皇后(当時は皇太后)の住まいだった大宮御所で催された映画上映会でした。百合子さまもこの上映会に招待されていました。この出会いが、二人のご縁の始まりとなりました。
alt="結婚当時の百合子さま"
凛とした姿で、常に周囲に気を配る
工藤氏によれば、百合子さまは、数々の悲しみを経験しながらも、その悲しみを表に見せることなく、常に周囲に気を配り、凛とした姿勢を崩されることはありませんでした。 近年、車椅子をご使用されるようになってからも、お元気でお話になり、皇室の伝統や文化について熱心に語られていたそうです。
皇室の未来を見守り続けた101年の生涯
百合子さまは、皇室の伝統と文化を大切に守り、激動の時代を生き抜かれた、まさに「生き証人」でした。そのご功績は、後世に語り継がれることでしょう。ご冥福をお祈り申し上げます。