11月15日、天皇陛下の大叔母にあたる、三笠宮妃百合子さまが皇室史上最高齢の101歳で亡くなられた。
18歳で皇室に入られた百合子さま
「昭和天皇の弟である三笠宮崇仁さまと、1941年に結婚し、18歳で皇室に入られた百合子さま。5人のお子さまを育てながら、『母子愛育会』の総裁を務めるなど、公務にもいそしまれました。宮内庁は、死因を老衰と発表しました」(皇室ジャーナリスト)
百合子さまは、今年3月から脳梗塞などのため、東京都中央区の聖路加国際病院に入院されていた。療養を続けておられたが、11月8日に容体が急変。
「百合子さまの孫娘にあたる、三笠宮家の彬子さまは、オックスフォード大学での講演などのため、11月7日からイギリスを訪問されていました。しかし、百合子さまの容体急変の知らせを受け、15日まで滞在する予定を変更し、9日に緊急帰国されたのです。
オックスフォード大学大学院を修了された彬子さまにとって、母校での講演は特別なことです。それでも帰国されたのは、百合子さまのご容体がだいぶ悪化したためでした」(三笠宮家関係者、以下同)
彬子さまは、百合子さまをかねてそばで支えてこられた。
「’16年にお亡くなりになった、百合子さまの夫・三笠宮さまの伝記『三笠宮崇仁親王』が’22年に出版されました。この本は、百合子さまが三笠宮さまの人生について振り返られた語りをもとにつくられています。実は、その際の聞き手役を、同伝記の刊行委員長を務めた彬子さまが担当されたのです」
女性皇族初の博士
彬子さまといえば、女性皇族初の博士であり、自身のイギリス留学を綴った『赤と青のガウン』が、累計発行部数30万部を突破するなど、ベストセラー作家としてのお顔も。さらに、最近は積極的にメディアで発信されるなど、革新的な皇族として注目されている。
「今年9月にテレビ朝日系の『徹子の部屋』に出演されたことが話題に。名字や住民票がないことでの苦労話をユーモアたっぷりに明かされました。さらに、NHKのドキュメンタリーや、ファッション誌『SPUR』のインタビューを受けられています。
ストレス解消法について問われたときは“365日湯船につかること”と回答されたり、“あだ名をつけるのがうまいと言われる”など、彬子さまの親しみやすいご姿勢に好感の声が寄せられています」(前出・皇室ジャーナリスト、以下同)
多くの魅力をお持ちの彬子さまに、百合子さまも次世代の皇室の担い手として期待を寄せておられたことだろう。
「大正、昭和、平成、そして令和とさまざまな変化が生じた101年間を生きてこられた百合子さま。終戦間近には、空襲で三笠宮邸が全焼したこともありました。しかし、当時の三笠宮家は新しく創設されたばかりの宮家ということもあり、経済基盤が安定していませんでした。
三笠宮さまは、ご結婚満70年に際して行われた記者会見で当時のことを振り返り、“妻が支えてくれた”と明かされました。そんな激動の三笠宮家を支えてこられた百合子さまだからこそ、彬子さまの存在には頼もしさを感じることができ、“今後の皇室を任せられる”というお気持ちだったのではないでしょうか」
孫娘が見守る中、百合子さまは安らかな最期を迎えられたことだろう─。