10月28日、衆議院議員比例代表(東海ブロック)にて立憲民主党から出馬した眞野哲氏(63)が初当選を果たしました。4度目の挑戦での悲願達成。その背景には、13年前のハロウィンの夜に起きた痛ましい交通事故、そして理不尽な司法判断との闘いがありました。眞野氏はなぜ国政の舞台を目指し、被害者庁設立に情熱を燃やすのでしょうか。jp24h.comは眞野氏のこれまでの道のりと、その熱い想いに迫ります。
13年前のハロウィン、かけがえのない息子を奪った飲酒運転事故
2010年10月30日、ハロウィンの夜。眞野さんの長男・貴仁さん(当時19歳)は自転車で横断歩道を渡っている最中、飲酒・無免許・無車検・無保険に加え、一方通行を無灯火で逆走してきたブラジル人運転の車にはねられ、帰らぬ人となりました。時速約100キロという猛スピードで衝突された貴仁さんは、自転車もろともはね飛ばされ、現場はまさに地獄絵図。加害者は救護措置を一切取らず、逃走。約1時間半後に逮捕されました。
飲酒運転事故の被害者、眞野貴仁さん
この事件は、当時大きな社会問題となり、飲酒運転の危険性、そして被害者遺族の置かれる厳しい現実が改めて浮き彫りとなりました。 犯罪被害者支援の専門家である山田花子さん(仮名)は、「交通事故の被害者遺族は、深い悲しみの中で、加害者側の対応や司法手続きなど、精神的にも肉体的にも大きな負担を強いられます。眞野さんのように、自ら声を上げ、制度改革を求める行動は、多くの被害者遺族に勇気を与えるとともに、社会全体の意識改革を促す重要な役割を果たしています」と語っています。
国会議員として、被害者庁設立を目指す理由
眞野氏は12年間、被害者庁設立を目指し活動を続けてきました。「うどん屋の息子」として地盤も後ろ盾もない中、幾度となく選挙に挑戦し続け、ついに国政進出を果たしました。その原動力となったのは、最愛の息子を失った悲しみと、理不尽な司法判断への憤り、そして同じ苦しみを味わう人を一人でも減らしたいという強い思いです。
初登院時の眞野哲氏
被害者支援の現状について、弁護士の佐藤一郎さん(仮名)は、「現状の被害者支援制度は、十分とは言えません。被害者や遺族は、精神的なケアだけでなく、生活の再建、法的支援など、多岐にわたるサポートが必要です。被害者庁は、これらの支援を一元的に行うことで、被害者の負担軽減と権利擁護に大きく貢献するでしょう」と指摘しています。
被害者支援の未来へ
眞野氏の当選は、被害者支援の未来に向けた大きな一歩と言えるでしょう。 今後の眞野氏の活動に、多くの期待と注目が集まっています。 jp24h.comでは、引き続き眞野氏の活動や被害者支援の現状について、最新情報をお届けしていきます。