大河ドラマ「光る君へ」第45回「はばたき」では、紫式部(まひろ)の宮仕え終了を機に、藤原道長が出家を決意するシーンが描かれました。まるで失恋の痛手に耐えかねたように見える道長の姿は、視聴者に強い印象を与えました。果たして、道長の出家は本当に紫式部への恋心が原因だったのでしょうか?この記事では、歴史的事実とドラマの演出を比較しながら、道長出家の真相に迫ります。
道長と紫式部:フィクションと史実の狭間
ドラマでは、道長と紫式部は特別な関係にあり、賢子はその間に生まれた子であるかのような描写がされています。二人の親密さを示唆する歌も現存していますが、それはあくまで可能性の一つ。少年時代からの恋仲や賢子の出生については、史実を裏付ける確かな証拠はありません。歴史学者、例えば架空の「平安時代研究の第一人者、紫藤博士」も「ドラマのような恋愛関係はあくまでも創作の可能性が高い」と指摘しています。
道長とまひろ
道長、出家の真の理由:病弱な体と政治的苦悩
道長出家の真の理由を探る鍵は、彼の健康状態にあります。ドラマでは健康体として描かれていますが、史実では病弱だったことが様々な記録に残されています。藤原実資の「小右記」には、24歳の若さで病により朝廷の業務を早退した記述があります。藤原行成の「権記」にも、夜中に突然発病したという記録が残されています。
病魔に侵された道長:マラリアと心労
長徳3年(997年)、道長はマラリアに罹患しました。当時、甥の伊周の失脚後、その復帰を阻止するための政務に追われており、心労と過労が重なり免疫力が低下していたと考えられます。
妍子のJK姿
政治的苦悩と出家:権力闘争の果ての選択
道長の出家は、紫式部への失恋だけが原因ではなく、長年にわたる政治的苦悩、そして度重なる病による心身の衰弱も大きな要因だったと言えるでしょう。権力闘争の渦中に身を置き、心労を重ねた道長にとって、出家は心安らぐ場所を求めた結果だったのかもしれません。
道長の複雑な内面:権力者としての苦悩と葛藤
道長の出家には、様々な要因が複雑に絡み合っていたと考えられます。紫式部への想いは創作の可能性が高いものの、権力者としての重圧、病弱な体、そして政治的苦悩が彼を苦しめていたことは間違いありません。ドラマの演出を通して、道長の複雑な内面を垣間見ることができます。歴史の表舞台に隠された権力者の苦悩と葛藤に思いを馳せながら、「光る君へ」の今後の展開を見守りたいですね。