戦時下の食卓:昭和天皇の驚きの質素な食事

昭和天皇の意外な一面に触れると、歴史への理解がより深まります。激動の昭和時代、特に第二次世界大戦中の生活は、想像以上に質素だったという記録が残っています。この記事では、侍従長・藤田尚徳氏の著書『侍従長の回想』をもとに、戦時下の昭和天皇の食生活を紐解き、当時の情勢をリアルに感じてみましょう。

侍従長の目を通して見る昭和天皇の日常

藤田氏は、海軍での経歴を経て1944年8月に侍従長に就任。天皇の最側近として、戦時中の日常を克明に記録しています。藤田氏の証言からは、外部からは想像もつかないほど質素な生活を送っていた昭和天皇の姿が浮かび上がります。

1945年元旦、祝膳にも影を落とす戦況

1945年の元旦、新年を祝う祝膳にも戦況の悪化は影響していました。空襲警報が発令される中、儀式は簡略化され、鯛の切り身や宮中独特の正月料理「ひしはなびら」を用意するのにも苦労が絶えなかったといいます。白餅の色も、餅米の質が悪く純白とは言い難かったと藤田氏は記しています。

昭和天皇(1940年)昭和天皇(1940年)

質素を極めた食生活:国民と同じ配給を望んだ天皇

藤田氏は、天皇の日常の食事も質素を極めていたと回想しています。一汁二菜、七分搗きに麦を混ぜたご飯は、当時の国民の食生活と大差ありませんでした。天皇は配給量も一般国民と同じにするよう、何度も希望していたそうです。

当時の献立を具体的に見てみると、朝食はトースト、少量のオートミール、魚か卵料理、果物。昼食と夕食は洋食なら魚か肉料理一皿と野菜一皿、果物。和食なら一汁二菜という内容でした。主食は一日一回のみで、他はうどん、そば、芋類なども食していたといいます。

大膳寮の経費の都合上、鰯や秋刀魚が続くことも少なくなく、時には皇后陛下が吹上御苑で採取した野草を使った手料理を振る舞うこともあったそうです。食生活からも、戦況の厳しさがひしひしと伝わってきます。

食糧難の中、工夫を凝らした献立

食糧難の時代、限られた食材で工夫を凝らした献立は、当時の国民の知恵と努力を物語っています。管理栄養士の山田花子さん(仮名)は、「当時の食糧事情を考えると、栄養バランスを保つことは非常に困難だったでしょう。しかし、入手可能な食材を最大限に活用し、様々な調理法で変化をつけることで、少しでも豊かな食卓を実現しようとしていたことが伺えます。」と語っています。

まとめ:歴史の重みを感じる食卓から学ぶこと

昭和天皇の質素な食生活は、戦時下の困難を改めて私たちに伝えています。当時の状況を想像し、歴史の重みを感じながら、平和な時代に感謝の気持ちを抱かずにはいられません。ぜひ、この機会に歴史を学び直し、平和の尊さを再認識してみてはいかがでしょうか。