猪口邦子参議院議員の自宅火災という痛ましいニュースは、日本中に衝撃を与えました。政治家の妻としてだけでなく、国際政治学者としても活躍した猪口孝氏の突然の訃報に、多くの人々が深い悲しみを覚えていることでしょう。この記事では、火災の概要と、あまり知られていない猪口夫妻の夫婦愛、そして孝氏の献身的な姿についてお伝えします。
突然の火災、最上階のペントハウスを襲う
11月27日夜、東京都文京区にある6階建てマンションの最上階ペントハウスで火災が発生しました。このペントハウスは、猪口邦子議員一家が暮らす自宅でした。邦子議員と次女は外出中で無事でしたが、長女と夫である国際政治学者の猪口孝氏は、残念ながら帰らぬ人となりました。
焼け跡の様子
警察の調べによると、応接室が火元とみられ、失火の可能性が高いとのことですが、詳しい原因は現在も調査中です。孝氏は脚を悪くしており、杖をついていたため、避難が遅れた可能性も考えられています。
猪口夫妻、運命的な出会いから築かれた固い絆
猪口夫妻は1976年に結婚。当時、邦子氏は上智大学の大学院生、孝氏は上智大学外国語学部の助教授でした。知人の紹介で出会った二人は、すぐに惹かれあい、孝氏は出会ってすぐにプロポーズしたといいます。邦子氏も運命を感じ、即座に承諾。その後、邦子氏はイェール大学などに留学し、二人は共に国際政治学の研究者として活躍しました。
2005年に邦子氏が衆議院議員に初当選し、政治家に転身してからは、孝氏が双子の娘の食事を作るなど、多忙な妻を支えていました。自宅マンションは、孝氏がかつて教授を務めた東京大学東洋文化研究所の近くにある約180平方メートルのペントハウス。アメリカのホームパーティー文化を体験していた二人は、よく自宅に仕事仲間を招き、仲睦まじい姿を見せていたそうです。
国際政治学の第一人者、猪口孝氏の功績
猪口孝氏は、戦後の国際政治学において、海外で博士号を取得した最初の世代の一人であり、日本独自の研究を推進したトップレベルの学者でした。東京大学出版会から刊行された叢書「シリーズ国際関係論」の第1巻を執筆し、2000年にはケンブリッジ大学出版から学術雑誌「Japanese Journal of Political Science」を創刊するなど、その功績は多岐にわたります。
弟子を支えた師、そして妻を支えた夫
東京外国語大学大学院の篠田英朗教授は、孝氏を「戦後日本の国際政治学を牽引した偉大な学者」と評し、邦子氏を弟子のように思いながらも、対等な研究者として接していたと語っています。米ルイジアナ州立大学名誉教授の賀茂美則氏は、孝氏の子どもように純粋な人柄と研究への情熱を偲びました。
猪口夫妻
社交的で多くの友人に囲まれていた邦子氏を、孝氏は公私ともに支え、誰よりも彼女の夢を応援していました。邦子氏が総理大臣を目指すことを周囲が半信半疑の中、孝氏だけは真剣に「どうすれば邦子は総理になれるのか」と相談していたといいます。
惜しまれる才能、深い悲しみの中で
今回の火災は、国際政治学界にとって大きな損失であり、邦子氏にとってはかけがえのない伴侶を失うという、計り知れない悲しみであることは間違いありません。猪口孝氏の功績と、二人の深い絆を偲び、心よりご冥福をお祈りいたします。