爆風スランプがデビュー40周年!今回は、バンドの顔、サンプラザ中野くんが歩んできた道のり、特に幼少期の思い出やバンド結成までの貴重なエピソードに迫ります。音楽への情熱、そして数々の偶然が重なり生まれた爆風スランプ。その誕生秘話に隠されたドラマとは?
幼少期の音楽との出会い、そして高校時代のパッパラー河合との運命的な出会い
サンプラザ中野くんの音楽への愛は、幼少期に芽生えました。「ひょっこりひょうたん島」や「巨人の星」といったテレビ番組の主題歌に心を奪われ、小学1年生の時にはオルガンにも挑戦。しかし、3歳の時に発症したポリオ(小児まひ)の影響で右半身が不自由だったため、オルガンは断念することに。それでも音楽への情熱は消えることなく、「帰って来たヨッパライ」との出会いをきっかけにポップスの世界に魅了されていきました。
サンプラザ中野くん
そして、運命の出会いは高校時代。美術部で出会ったのが、のちに爆風スランプのギター担当となるパッパラー河合でした。千葉県の進学校に通っていた河合は、学年2位の秀才。しかし、腸閉塞を患ったことがきっかけで勉強から遠ざかり、卒業時には下から2番目という成績に。高校時代にギターを始め、ロックに傾倒した河合は、卒業後もバンド活動に熱中していました。
スーパースランプへの加入、そして中野サンプラザでの運命のステージ
河合が所属していたバンド「スーパースランプ」のライブを見た中野くんは、その演劇的なパフォーマンスとオリジナル曲に衝撃を受けます。「ミミズの衣装が似合う背が高い人を探している」というバンドの求人に応じ、なんと翌日にはメンバーに加入!これが、中野くんの音楽人生における大きな転機となりました。初めて作詞を手掛けた「ミミズのラブソング」は、彼の才能の片鱗を垣間見せる作品となりました。
バンドに加入した翌月には、ヤマハ主催のバンドコンテスト「イースト・ウエスト」に出場。このコンテストは、カシオペアやサザンオールスターズも出場した登竜門的な存在。決勝の舞台は、なんと「中野サンプラザ」。この偶然に運命を感じたメンバーたちは、プロを目指すことを決意します。練習時間は週に2時間程度でしたが、翌年には準グランプリを獲得する快挙を成し遂げました。
世界歌謡祭での挫折、そして爆風スランプの誕生
コンテストで結果を残した他のバンドが次々とデビューする中、彼らには声がかかりません。落胆するメンバーたちでしたが、ヤマハ会長の川上源一氏の目に留まり、世界歌謡祭への出場が決まります。日本武道館という大舞台で、スタッフからは「君たちは会長の肝いりだから絶対優勝だね」と太鼓判を押されていた彼ら。しかし、結果は「完全無欠のロックンローラー」を歌ったアラジンがグランプリを獲得。大きな挫折を味わうことになります。
そんなある日、中野くんは、同じコンテストに出場していた「爆風銃(バップガン)」のドラム担当、ファンキー末吉と河合が、こそこそ話をしているのを目撃。「一緒にバンドをやらないか」という誘いを受けた河合。すかさず「俺も入れてくれ!」と頼み込んだ中野くん。こうして、爆風銃のベース担当、江川ほーじんを加えた4人組バンド「爆風スランプ」が誕生しました。
まさに運命的な出会いと数々の偶然が重なり、爆風スランプは誕生したのです。40周年を迎えた今、彼らの音楽は多くの人々に愛され続けています。