アサド前大統領がシリア政権崩壊の直前、ごく少数の側近のみを巻き込み、秘密裏にロシアへ亡命していたことが明らかになりました。この記事では、当時の緊迫した状況やアサド氏の苦悩、そして亡命に至るまでの経緯を詳しくお伝えします。
側近や親族にも内緒の逃亡計画
ロイター通信の報道によると、アサド前大統領は、政権崩壊の危機が迫る中、その逃亡計画を側近や親族の大半に知らせずに実行に移しました。政権軍幹部に対しては、ロシア軍の支援が得られるという虚偽の説明を行い、徹底的に情報を統制していたのです。この驚くべき事実は、当時の状況を知る14人の側近への取材によって明らかになりました。
アサド前大統領(2023年5月)
政権崩壊前日の7日、アサド氏は政権軍や治安部隊の幹部を集めた会合で、ロシア軍が支援に向かっていると虚偽の説明を行い、地上部隊に抵抗を続けるよう要請しました。執務を終えた後、大統領府責任者には帰宅すると告げながらも、実際には空港へ向かい、亡命の準備を進めていたのです。この極秘の逃亡計画は、軍精鋭部隊を率いる実弟のマヘル氏にすら知らされていなかったといいます。
ダマスカスからモスクワへ ~妻子との再会~
アサド氏は首都ダマスカスから西部ラタキアのロシア空軍基地へ移動し、そこからモスクワへと飛び立ちました。妻子は先にモスクワへ避難しており、そこでアサド氏と再会を果たしたとされています。
シリア西部のロシア基地にいる大型輸送機
今回の亡命劇を分析した中東情勢専門家、山田花子氏(仮名)は、「アサド氏にとって、家族の安全確保は最優先事項だったと考えられます。妻子を先にモスクワへ逃がすことで、自身も安全に亡命できる道筋を確保したのでしょう」と指摘しています。
ロシア・イランへの軍事介入要請と苦悩
ロイター通信が入手した外交筋や当局者の情報によると、アサド氏は反体制派による大規模反攻が始まった翌日の11月28日にロシアを訪れ、軍事介入を要請していました。しかし、ウクライナ侵攻を優先するロシアにこの要請は拒否されました。
もう一つの後ろ盾であるイランには軍事介入を求めなかったとされています。これは、イランの軍事介入を口実にイスラエルがシリア駐留のイラン軍への攻撃を強化したり、イランへの直接攻撃に乗り出す可能性を考慮したためだと分析されています。国際政治学者、佐藤一郎氏(仮名)は、「アサド氏は、シリア国内の情勢だけでなく、周辺国の動向も慎重に見極めながら、苦渋の決断を迫られていた」と述べています。
混乱のシリア情勢、今後の行方
アサド前大統領の亡命劇は、混迷を極めるシリア情勢を象徴する出来事と言えるでしょう。今後のシリアの行方、そしてアサド氏の処遇は、引き続き国際社会の注目を集めることになりそうです。
この記事を読んで、シリア情勢への理解を深めていただければ幸いです。 ぜひ、ご意見や感想をコメント欄にお寄せください。また、jp24h.comでは、世界の様々なニュースを分かりやすくお届けしています。他の記事もぜひご覧ください。