ウクライナ侵攻開始から1000日以上。三重県鈴鹿市に住む山本ハリナさん(38歳)は、この夏、3年ぶりに故郷ウクライナへ一時帰国しました。最愛の母との再会、そして戦争の爪痕深く残る祖国の現状を、ハリナさんの視点を通してご紹介します。
3年ぶりの母との再会、そして突然の別れ
ハリナさんは、ウクライナに残る母ハンナさんを心配し、危険を承知で帰国を決意。長時間のバス移動を経て、土のうが積まれた街並みを目にしながら、ようやく実家にたどり着き、母との再会を果たしました。
alt
しかし、喜びも束の間、ハンナさんは体調を崩し、十分な治療を受けられないまま、ハリナさんの目の前で息を引き取ってしまったのです。深い悲しみに暮れながらも、ハリナさんは日本で集めた支援物資を届けるため、病院や孤児院を巡る活動を始めました。
戦争の爪痕と人々の懸命な生き様
支援活動を通して、ハリナさんは戦争で負傷した元兵士や、懸命に生きる人々の姿に心を打たれました。1日10時間しか電気を使えず、空襲警報のたびに地下に避難する生活を送りながら、それでも人々は前を向こうとしていました。
alt
休暇で戻っていた親戚の兵士とも再会。「ミサイルの爆音で耳が聞こえにくくなった」と語る彼の痩せ衰えた姿は、戦地の過酷さを物語っていました。兵士から託された「ウクライナに栄光あれ」と書かれた旗は、ハリナさんの心に深く刻まれました。
日本で感じる祖国の危機と人々の無関心
日本に戻ったハリナさんは、ウクライナの現状を伝える活動に奔走しています。しかし、日本ではウクライナ侵攻の報道が少なくなり、人々の関心も薄れていると感じています。毎日のように届く友人や親戚からのメッセージは、ミサイル攻撃やインフラの破壊など、悪化する一方の状況を伝えています。
ハリナさんは「安全な場所はどこにもない。一日も早く戦争が終わってほしい」と願い、日本の人々へ「自分たちの国が同じように攻められたらどうするのか。自分ごととして寄り添ってほしい」と訴えています。ハリナさんは、親戚の兵士から託された旗を胸に、平和への願いを強く持ち続け、これからも活動を続けていきます。