それは突然のことだった。12日夜、山梨県を地盤とする自民党の宮川典子衆院議員(40)=比例南関東ブロック=が乳がんで亡くなったことを知り、ショックのあまり言葉を失った。宮川氏はがんであることを公表しておらず、筆者(48)も知らなかった。それだけに「死去」しかも「がん」という二重の意味で衝撃を受けた。
筆者の記者生活は甲府支局からスタートした。今から約25年前の話だ。山梨県は自民党の金丸信元副総裁、中尾栄一元建設相、堀内光雄元通産相らを輩出し、当時は保守王国といわれていた。以来、山梨県関係の国会議員には、身近に感じながら取材に当たってきた。
だが、宮川氏とは接点がなく、面識はないに等しかった。そんな彼女が自民党本部で「記事、いつも読んでいますよ。頑張ってください!」と励ましてくれたことがあった。
筆者は平成28年12月にステージ4の小腸がんの手術を受け、その後約2年間にわたり抗がん剤治療を続けた。「いつも読んでいる」というその記事が、罹患(りかん)して以降、産経ニュースで掲載を続けている連載「希少がんと共に生きる」のことを指しているのは、すぐに分かった。