許永中氏といえば、「闇社会の帝王」の異名を持つ、戦後日本を揺るがした経済事件に関与した人物として知られています。しかし、彼の波乱万丈な人生には、実業家としての側面も存在しました。今回は、許氏が手掛けたリゾート会員権ビジネス「東邦エンタープライズ」に焦点を当て、その知られざる一面を掘り下げます。
東邦エンタープライズの華麗なる船出
1979年4月、大阪と東京の一等地にオフィスを構え、「東邦エンタープライズ」が華々しくデビューしました。レジャー会員券を扱うこの会社は、当時流行していた「レジャーコラボ」を展開する計画でした。8000万円の資本金、豪華な内装…その力の入れようは並大抵ではありませんでした。社長には野村雄作氏、社長室長には許永中氏、そして専務には大谷貴義氏という布陣で、東邦生命の代理店「東邦産商」の野村周史氏を後ろ盾に、盤石な体制を築き上げました。
東邦エンタープライズがオフィスを構えた大阪のビル街
会員権の魅力を高めるため、許氏は画期的なアイデアを考案します。それは、東邦生命の保険契約者を対象とした「かんがるうくらぶ」の設立です。東邦生命の社章にちなんだこのクラブは、会員に特別な特典を提供することで、大きな反響を呼びました。
20万円で別荘とゴルフ会員権
「20万円で別荘の所有権とゴルフ場の会員権が手に入る」という破格の条件は、多くの人々の心を掴みました。パンフレットには魅力的な謳い文句が並び、会員権への期待感を高めました。
大スター萬屋錦之助をCMに起用
許氏はさらに、事業を成功させるための秘策を練っていました。それは、当時人気絶頂の時代劇スター、萬屋錦之助氏をCMに起用することでした。錦之助氏の知名度とカリスマ性は、会員権の販売促進に大きな効果をもたらすと確信していたのです。
ギャラ3000万円の破格オファー
交渉は、京都の老舗料亭「京大和」で行われました。住吉一家小林会初代会長、日本青年社初代会長の小林楠扶氏を介して、許氏は錦之助氏に3000万円という破格のギャラを提示。当時、仕事が減少傾向にあった錦之助氏にとって、このオファーは魅力的だったに違いありません。
料亭 京大和
錦之助氏は妻の淡路恵子氏と共に料亭に現れ、交渉は進められました。小林氏はこの場に同席していませんでしたが、その影響力は確かに存在していました。
まとめ:実業家としての許永中
リゾート会員権ビジネス「東邦エンタープライズ」に見られるように、許永中氏は単なる「闇社会の帝王」ではなく、優れたビジネスセンスと行動力を持つ実業家でもありました。大胆な発想と巧みな交渉術で事業を展開していく彼の姿は、まさに異色の実業家と言えるでしょう。今後の記事では、許氏の他の事業についても詳しく紹介していきます。ぜひご期待ください。