硫黄島の地底深く、今もなお多くの日本兵が眠っています。民間人の立ち入りが原則禁止されているこの島で、一体何が起こったのでしょうか?今回は、ノンフィクション『硫黄島上陸 友軍ハ地下ニ在リ』を参考に、遺骨収集の現場に同行した記者が見た硫黄島の真実、そしてそこで働く人々の情熱をお伝えします。
遺骨と共に蘇る物語:専門家たちの献身
硫黄島の風景
遺骨収集には、化学物質や弾薬の専門家だけでなく、「鑑定人」と呼ばれる人骨の専門家も同行します。彼らは、発掘された遺骨が日本人であるか、また何人分の遺骨が含まれているかを鑑定する重要な役割を担っています。
「先生」と呼ばれる鑑定人:遺骨の声を聴く
鑑定人が遺骨を調査する様子
鑑定人は、遺骨から多くの情報を読み取ります。例えば、恥骨の結合部の状態から年齢を推定することができます。若年者では波打っている恥骨の結合部が、加齢とともに平らになり、穴が空いていくそうです。初日に発見された「首なし兵士」も、この方法で20代後半から30代前半と推定されました。
硫黄島の過酷な現実:一つになった想い
かつて、海外の遺骨収集現場で日本人以外の遺骨が誤って収容された事例がありました。このような事態を防ぐため、現在では鑑定人が同行しています。 驚くべきは、専門家たちはそれぞれの専門分野を超えて、遺骨収集に尽力していることです。土砂を運ぶバケツリレーや、大きな岩を動かす作業にも積極的に参加します。
「汗だくになって遺骨を探しているお年寄りを黙って見ているわけにはいかない」
弾薬専門家のこの言葉は、遺骨収集団全体の想いを象徴しています。年齢も出身地も職業も立場も異なる人々が、戦没者を故郷に返すという一つの目的のために心を一つにしています。この強い団結力こそが、硫黄島の過酷な環境下でも遺骨収集を続ける原動力となっているのです。
硫黄島での遺骨収集は、今もなお続いています。そこには、戦争の残酷さと、故郷へ帰ることのできなかった兵士たちの無念さが刻まれています。そして同時に、遺骨収集に携わる人々の温かい想い、そして未来への希望も感じることができます。