名古屋めしを代表する「世界の山ちゃん」の幻の手羽先。その背後には、カリスマ創業者の急死、そして専業主婦だった妻の壮絶な挑戦がありました。この記事では、世界の山ちゃんの歴史、創業者の思い、そして妻の愛と奮闘を描きます。
創業者と「幻の手羽先」の誕生秘話
「世界の山ちゃん」の歴史は、1981年に山本重雄氏が「串かつとやきとり やまちゃん」を開店したことから始まります。わずか13席の小さなお店でしたが、そこで提供された「幻の手羽先」が評判を呼び、後に「世界の山ちゃん」へと進化を遂げました。
世界の山ちゃん 有楽町店
「世界の山ちゃん」というユニークな店名の由来は、アルバイトがお客様の電話に冗談で「宇宙の山ちゃんです」「世界の山ちゃんです」と応対していたことから。重雄氏はこのエピソードを気に入り、夢のある名前だと感じて採用したといいます。
今では1秒に1本売れるという「幻の手羽先」。名古屋めしを象徴するメニューとして、名古屋のみならず全国的に愛されています。名古屋の食文化研究家、加藤美穂氏(仮名)は「世界の山ちゃんの幻の手羽先は、胡椒のスパイシーさと甘辛いタレの絶妙なバランスが魅力。一度食べたら忘れられない、まさに中毒性のある味です」と語ります。
突然の訃報と妻の決断
2000年に重雄氏と結婚し、3人の子供を育てながら専業主婦として暮らしていた山本久美さん。2016年8月、夫である重雄氏が解離性大動脈瘤で急逝するという悲劇に見舞われます。享年59歳。前日まで厨房に立ち、新たなメニュー開発に情熱を燃やしていた矢先の出来事でした。
カリスマ経営者の突然の死は、会社にとって大きな損失でした。経営に関する全てを重雄氏が担っていたため、後継者不在という危機に直面します。取引先からはすぐに社長就任を要請されますが、深い悲しみの渦中にいた久美さんは、その申し出を断ります。
山本久美さん
しかし、従業員の不安、そして夫との日々を振り返る中で、久美さんは大きな決断を下します。「私がやらなければ誰がやるのか」。経営の知識も経験もなかった専業主婦が、80店舗以上を展開する企業のトップに就任した瞬間でした。
新たな挑戦、東京進出
経営の難しさに直面しながらも、久美さんは持ち前の明るさと前向きな姿勢で、会社を支えていきます。そして2024年末、新たな挑戦として東京・有楽町に新店舗をオープン。「山」と名付けられたこの店舗は、ワンランク上の世界の山ちゃんとして、新鮮な魚介類など新たなメニューも提供しています。
名古屋、大阪に続く東京進出は、重雄氏の悲願でもありました。久美さんは夫の夢を叶えるため、そして「世界の山ちゃん」の未来を切り開くため、今日も挑戦を続けています。
幻の手羽先、未来へ
「世界の山ちゃん」の物語は、美味しい手羽先だけでなく、愛と挑戦の物語でもあります。創業者の情熱、妻の献身、そして従業員の支え。これらが一体となって、幻の手羽先は未来へと受け継がれていきます。