半世紀にわたる逃亡劇の末に自ら出頭した連続企業爆破犯を題材にした映画。その脚本家として指名されたのは、他ならぬ爆弾犯の実の娘、梶原阿貴氏でした。現在公開中の映画『桐島です』の脚本も手掛ける彼女が記した自伝『爆弾犯の娘』は、重いテーマを軽妙な筆致で描く異色の作品です。なぜ高橋伴明監督は「お前なら書ける」と言ったのか。この一冊は、その問いに深く向き合い、彼女自身の複雑な生い立ちと、日本社会の知られざる一面を浮き彫りにします。
隠された過去:爆弾犯の父と幼少期の「掟」
幼少期の梶原氏の家庭には、理解しがたい「掟」がありました。「うちには人を連れてきてはいけないし、うちがどこにあるのかも誰にも教えてはいけない」。母子家庭で育った彼女の家には、名前も知らない「あいつ」が隠れて暮らしていたからです。青白い顔をした、靴を持たない男。交番の前を通ることの禁止、頻繁な引っ越し、そしていつでも逃げ出せるように枕元に置かれたボストンバッグ。これら全ては、1971年に発生し、日本社会に大きな衝撃を与えた連続企業爆破事件の指名手配犯である実の父親、梶原譲二氏の存在に起因していました。母は娘に父の素性を明かさず、彼を匿っての生活を送っていたのです。
向き合う真実:父の逮捕と役者の道
12歳のある日、梶原阿貴氏は母から衝撃的な真実を告げられます。「お父さんはね、役者で爆弾犯なの」。そして、その男が梶原譲二という名であることを知ります。事件発生から14年後の1985年冬、譲二氏はついに自ら出頭し逮捕され、波乱に満ちた逃亡生活は終わりを告げました。この出来事が、娘である梶原氏の人生に決定的な転機をもたらします。父が諦めた「役者の道」を、自らが歩むことを決意したのです。映画『桐島です』の脚本を担当するまでに至った彼女のキャリアは、自身の宿命と向き合い、それを表現へと昇華させる過程でもありました。
重厚なテーマを軽やかに描く筆致
本書の概要だけを聞くと、その内容は非常に重苦しいものだと想像するかもしれません。しかし、実際に読んでみると、その書き口の軽やかさに驚かされます。シリアスなエピソードもどこかポップに、そしてユーモラスに綴られており、読者はあっという間に物語に引き込まれます。例えば、家族旅行で訪れた温泉宿で殺人事件が発生し、父が容疑者となる(後に別人が犯人と判明)というエピソードは、まるでサスペンス小説のような展開です。自身の苦境を俯瞰し、当時の時代や社会のありようを小気味よく描き出す筆致は、梶原氏ならではの洞察力と表現力によるものです。読者は、一人の女性の人生を通じて、日本の社会とその影の部分、そして「家族とは何か」という普遍的なテーマについて深く考えさせられるでしょう。
梶原阿貴著『爆弾犯の娘』(ブックマン社)の書影。連続企業爆破事件の犯人の娘が自身の半生を綴った自伝的ノンフィクションの表紙。
梶原阿貴氏の自伝『爆弾犯の娘』は、連続企業爆破事件の影を生きてきた一人の女性が、いかにして自らの人生と向き合い、表現者としての道を歩んできたかを鮮やかに描いています。その軽やかな筆致は、読者に深い感動と洞察を与え、重いテーマにも関わらず読む手を止めさせません。このユニークな視点から語られる物語は、単なる一人の半生記に留まらず、日本の社会、家族のあり方、そして人間の強さについて深く考えさせる一冊です。ぜひ本書を手に取り、その唯一無二の世界に触れてみてください。
参考文献:
- 篠原知存(ライター). Book Bang編集部. 新潮社.