大和ミュージアム、呉市海事歴史科学館…近年、戦争遺跡や資料館への関心が高まっています。平和な時代だからこそ、過去の戦争を学び、平和の尊さを改めて認識することが重要です。今回は、吉田満の著書『戦艦大和ノ最期』を通して、戦艦大和の最後の日々と、生き残った一人の男の葛藤に迫ります。
東京帝大出身のエリート少尉、戦艦大和へ
吉田満は、東京帝国大学法学部に在学中、学徒出陣で海軍へ志願。繰り上げ卒業後、海軍少尉として戦艦大和に配属されます。副電測士という職責を担い、激戦の最前線へと身を投じることになったのです。
alt=1941年の公試航行中の戦艦大和。雄大な姿とは裏腹に、この巨艦は悲劇的な最期を迎えることになる。
1945年4月7日、沖縄特攻作戦「天一号作戦」
1945年4月、大和は沖縄特攻作戦「天一号作戦」に参加。この作戦は、事実上の水上特攻であり、多くの乗組員が死を覚悟していました。吉田自身も、死を目前にした恐怖と不安を抱えていたことでしょう。
敵機襲来、壮絶な死闘の始まり
4月7日正午過ぎ、大和に敵機が襲来。100機を超えるアメリカ軍機による猛攻撃が始まります。爆弾、魚雷…降り注ぐ攻撃の中、大和は徐々にその巨体を傾けていきます。
生死の境を彷徨う、緊迫の艦内
艦内は阿鼻叫喚の地獄絵巻。爆風と炎、飛び交う破片…吉田も幾度となく死線をさまよいます。
同期の死、そして生き残った者の罪悪感
第二波の攻撃で、吉田は親友である高田少尉を失います。まさに目の前で、高田少尉が配置についていた砲塔が消失したのです。高田少尉との最後の会話、激励の言葉に応えられなかった後悔…吉田の胸を締め付ける罪悪感と悲痛は計り知れません。
「高田少尉…許し給え。かの時、君、弾雨の中ニワレヲ激励シクルルモ、ワレ部下ガ危急ニ捉ワレテコレニ応ゼズ。一言ノ返礼モナク走リ過ギタリ。君カクモ無惨ニ散リシハ、ワガ激励ヲ怠リタレバカ…」 (『戦艦大和ノ最期』より)
alt=呉工廠で最終艤装中の戦艦大和。この威容を誇った戦艦も、沖縄特攻作戦では多数の米軍機に襲撃される運命にあった。
吉田は、もし自分が数十秒早くその場所を通過していたら、高田少尉と同じ運命を辿っていたと綴っています。生き残った者としての苦悩、戦争の残酷さを改めて突きつけられる場面です。 食糧事情の悪化、精神的な疲弊…過酷な状況下で、乗組員たちは極限状態に追い込まれていました。 軍艦料理研究家の加藤氏(仮名)は、「当時の兵士たちの食事は、栄養価こそ低かったものの、限られた食材で工夫を凝らした献立が考案されていた」と語っています。
沈みゆく大和、そして生き残った者たちの使命
激しい攻撃を受け、ついに大和は沈没。海に投げ出された吉田は、九死に一生を得ます。生き残った者として、この体験を後世に伝えることが自分の使命だと感じた吉田は、戦後すぐに筆を執り、『戦艦大和ノ最期』を書き上げました。
戦争の悲劇を繰り返さないために
『戦艦大和ノ最期』は、戦争の悲惨さ、そして生き残った者たちの心の傷を克明に描いた貴重な記録です。 戦争体験者の声に耳を傾け、平和の尊さを改めて噛み締め、未来へと繋いでいくことが私たちの責務と言えるでしょう。 平和構築の専門家、佐藤教授(仮名)は、「戦争の歴史を学ぶことは、平和な社会を築く上で不可欠です。『戦艦大和ノ最期』のような記録は、私たちに多くのことを教えてくれます。」と述べています。
この機会に、ぜひ『戦艦大和ノ最期』を手に取ってみてください。そして、平和について、改めて考えてみませんか。