「家族にイオンに行っただけで見知らぬ人からの視線が…」日本人が知らない『“政治家の娘”として生きることの大変さ』


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 イオンに行っただけで、ひそひそとささやかれたりすることも……。“政治家の家族”が被る苦労とは? 千葉県鎌ケ谷市の市長を5期務めた元政治家の清水聖士氏の、新刊『 市長たじたじ日記――落下傘候補から、5期19年、市長務めました 』(三五館シンシャ)より一部抜粋してお届けする。(全2回の2回目/ 最初 から読む)

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政治家の娘はなぜ大変か?

 市長を務めるあいだ、妻だけでなく、娘も私の仕事のしわ寄せを受けた。

 まず、1期目、2期目は市長の仕事が忙しすぎて、ほとんど育児に携われず、母子家庭状態になった。幼いわが子と一緒の時間をすごせなかったのは悔いが残る。

 プライベート面でも制約を受けることがあった。

 たとえば、たまの休みに家族でイオンに買い物に行ったりすると、時折、私に気づく人がいる。こちらを見て、ひそひそとささやかれたりすると、知らない誰かの視線が気になるようで娘は不機嫌そうな顔になった。

 小学生時代、娘に仲良しの友だちができた。友だちの自宅で仲良しグループの誕生会が開催され、娘も招かれた。催しが楽しかったようで、娘は「今回の御礼に、私の誕生日会をうちでやりたい」と言い出した。

 娘の誕生日、わが家でお誕生会を開いて、5〜6人の友だちを招待した。

 しばらくして、「市長の家は、娘の仲良しの子だけを呼んで派閥を作っている」という噂が出回っていると支援者が教えてくれた。

 それ以来、お誕生会を主催することも、人のお誕生会に行くこともやめることにした。娘はさぞ悲しかったことだろう。

「ナマ市長!」

 小学6年生のとき、同級生の女の子たちがうちに遊びに来た。休日で家にいた私が顔を出すと、友だちの中のひとりが声をあげた。

「あっ、ナマ市長!」

 娘は照れ臭そうにしながらも、若干誇らしい気持ちにもなったようだ。

 娘が中学進学の時期を迎えて、このまま鎌ケ谷の中学に進めば、どうしても「市長の娘」ということで目立つだろうと危惧するようになった。派閥を作っていると揶揄されたようなことがまた起これば、娘が可哀そうだ。

 私は妻と相談し、娘を中学受験させて、中高一貫の女子校に入れることにした。

 学区が変われば、父親が市長だと知っている友だちもいなくなる。

 娘も心配があったのか、中学受験にすんなりと賛成してくれた。

 無事に中学受験を終えたあと、娘の小学校卒業式を迎えた。

 小学校入学式に出席するための“画策”は前述のとおりだ。

 じつは入学直後、私はもうひとつの“画策”を行なった。



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