【芥川龍之介、上高地で発見か?】幻の写真はがきが話題に!

芥川龍之介、日本文学史に燦然と輝くこの名前。彼の作品に魅せられた人は数知れません。今回、そんな文豪の知られざる一面を捉えたかもしれない、貴重なはがきが発見され、大きな話題となっています。なんと、若き日の芥川が上高地で撮影された可能性があるというのです!本記事では、そのはがきの発見から、専門家の考察、そして芥川龍之介と上高地の深いつながりまで、詳しく解説していきます。

発見の経緯:ネットオークションで運命の出会い

元松本市職員の牛丸工さん(68)は、長年上高地周辺の古写真を収集しています。2年ほど前、ネットオークションで一枚のはがきに目を奪われました。それは、噴煙を上げる焼岳を背景に、藪の中にたたずむ若者たちの姿をとらえたもの。「信濃焼岳噴烟」というタイトルが添えられたその写真に、牛丸さんはある予感を抱いたのです。「もしかしたら…芥川龍之介一行ではないか?」

alt=焼岳を背景に、数人の人物が写っている古びたはがき。alt=焼岳を背景に、数人の人物が写っている古びたはがき。

芥川龍之介と上高地:知られざる関係

実は、芥川龍之介と上高地には深い縁があります。1909年、東京府立第三中学校在学中の芥川は、友人4人と共に槍ヶ岳に登頂。下山後、上高地温泉場(現・上高地温泉ホテル)に宿泊し、翌日は焼岳に登ったという記録が残っています。この登山経験は、後の作品にも大きな影響を与え、「槍ヶ岳紀行」はもちろんのこと、代表作「河童」にも上高地や河童橋が登場します。

写真の謎:焼岳の噴煙が鍵を握る

牛丸さんは、はがきに写る焼岳の噴煙の位置に着目しました。焼岳は1907年に160年ぶりの噴火を起こし、その後も噴火口の位置が変動しています。過去の噴火記録や写真と照らし合わせることで、はがきの撮影時期を1908年春から1910年夏の間と推定。そして、日本山岳会の登山記録を調べた結果、この期間に5人組で登山した学生グループは、芥川一行しかいなかったというのです。

alt=はがきの写真のアップ。噴煙を上げる焼岳を背景に、藪の中に5人の人物が写っている。alt=はがきの写真のアップ。噴煙を上げる焼岳を背景に、藪の中に5人の人物が写っている。

考察:写真に写る人物は?

はがきには、5人の若者の他に、少し離れた場所に1人が立っています。同行者の記録によると、芥川一行のうち1人は和服姿だったとのこと。写真を見ると、5人のうち1人だけ黒っぽい服を着ているように見えます。当時の登山記録を参考に、牛丸さんは、4人は学生服、1人は和服を着ている可能性を指摘。さらに、芥川が中心人物であったこと、そして離れて立つ1人は宿の使いではないかと推測しています。写真鑑定の専門家、小林一郎氏(仮名)も「写真の真偽は断定できないものの、牛丸氏の考察は非常に緻密で説得力がある」と評価しています。

真実はいかに?今後の研究に期待

はがきに写る人物が本当に芥川龍之介一行なのか、確証を得るにはさらなる調査が必要です。しかし、この発見は、芥川研究に新たな光を投げかける貴重な資料と言えるでしょう。今後の研究の進展に期待が高まります。

あなたも名探偵に挑戦!

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