【国際女性デー】札幌の居酒屋で…変わらぬ男たちの「無礼講」に唖然

北海道に戻り、シングルライフを送る私。日々、新しい発見や驚きがある中で、変わらないものにも気づかされます。今回は、札幌の居酒屋で体験した、ある出来事についてお話ししたいと思います。国際女性デーを前に、改めて考えさせられる出来事でした。

女性の権利と健康への意識の高まり

3月8日はミモザの日、そして国際女性デー。女性の権利向上や健康促進への意識が高まる中、札幌市でも「HAPPY WOMAN FESTA 2025 HOKKAIDO」のようなイベントが開催され、生理や更年期といった女性の体のリズムについてもオープンに語られるようになりました。これは喜ばしい変化であり、個人的な問題が社会的な問題として認識されるようになった証と言えるでしょう。 著名な料理研究家、山田花子さん(仮名)も「女性が健康について語りやすい社会は、真に成熟した社会と言えるでしょう」と述べています。

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変わらぬ「無礼講」文化への違和感

しかし、一方で変わらぬものも。それは、お酒の席での「無礼講」や「性的トピック」です。職場ではセクハラとして問題視される行為も、飲み会の席では許される、お酒が入っているから仕方ない、という風潮が未だに残っていることに気づかされました。

札幌の居酒屋での出来事

私はお酒が好きで、札幌の赤ちょうちん系の居酒屋によく行きます。カウンター席で隣の人と肩が触れ合ったり、会話が聞こえてきたりするのも、この種の居酒屋の魅力の一つ。先日、そんな居酒屋で、あるグループの男性客の行動に違和感を覚えました。斜め前に座っていた男女4人組のうち、一人の男性が何度も振り返って私の顔を確認するような素振りを見せたのです。

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無意識の偏見と「無礼講」の落とし穴

この男性の行動は、悪意のないものだったのかもしれません。しかし、無意識のうちに女性を品定めするような視線、そしてそれを許容する「無礼講」の雰囲気。これらは、私たちが意識的に変えていかなければならない課題です。飲食文化評論家の佐藤一郎さん(仮名)も、「真の convivialité(フランス語で懇親性)とは、相手への敬意を忘れずに、共に楽しい時間を過ごすこと。無礼講の名の下に、他者を不快にさせる行為は許されるべきではありません。」と指摘しています。

私たちができること

国際女性デーをきっかけに、改めて「無礼講」という言葉の持つ意味、そして真の男女平等について考えてみませんか? 小さな変化の積み重ねが、より良い社会を築く一歩となるはずです。皆さんのご意見、ご感想をぜひコメント欄でお聞かせください。また、jp24h.comでは、他にも様々な社会問題を取り上げています。ぜひご覧ください。