秋の叙勲 旭日重光章 中山恭子元拉致問題担当相 拉致問題解決へ仲間と必死に

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【叙勲インタビュー】元拉致問題担当相の中山恭子=31日午後、東京都新宿区(三尾郁恵撮影)

【叙勲インタビュー】元拉致問題担当相の中山恭子=31日午後、東京都新宿区(三尾郁恵撮影)

 「大変光栄なこと。一緒に仕事をした仲間、全国の支援者と一緒にいただくものなのかな」。包み込むような優しい笑みを浮かべ、受章の喜びをかみしめた。

 穏やかな笑顔の裏には熱い思いを秘める。北朝鮮による日本人拉致問題に真正面から取り組んできた。

 平成14年に拉致被害者5人が「一時帰国」。内閣官房参与として「被害者を拉致した犯人の手に戻すことはあってはならない」と強く主張した。北朝鮮に及び腰の意見もあったが、最後は当時の安倍晋三官房副長官が5人を北朝鮮に戻さないと決断した。「ありがたかった」と振り返る。

 18年、第1次安倍内閣が発足すると拉致問題担当の首相補佐官に就任。このとき設置された拉致問題対策本部の事務局長も務めた。「被害者を取り戻したいと首相も強く思っていた。仲間と必死だった」と語る。

 19年には、安倍首相に請われて政界入り。その後の福田康夫改造内閣では拉致問題担当相も務めた。

 安倍首相は今、拉致問題の解決に向け、前提条件なしで北朝鮮の金正恩朝鮮労働党委員長と会談すると訴える。「首相にはすがるような思い。何とか良い方向で道が見えてほしい」。期待は日に日に大きくなるばかりだ。

 「被害者救出」の原点ともいえるのが、1999年のキルギスの邦人人質事件だ。隣国ウズベキスタンの大使だったが、外務省に背いて救出作戦の先頭に立ち人質解放に成功。当時の日本に欠けていた「国が国民を守るのは当然」という意識が、すでに身上だった。

 平成29年には、「日本のこころ」代表として憲法草案を発表。現行憲法には「国家が国土や国民を守るとの規定がない」と嘆く。

 今夏、12年間の参院議員生活に幕を閉じた。今は文化交流事業に注力し、日本を「世界の文化が交流する場」にすると語る。いつまでも日本を愛する国士だ。

(中村智隆)

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