1982年2月9日、ホテルニュージャパン火災の翌日に発生した日本航空350便墜落事故。羽田空港滑走路手前の海に機体が墜落し、多くの犠牲者を出したこの事故は、日本航空史上に深く刻まれた悲劇です。今回は、生存者の証言や救助活動の記録から、30年前の真実を紐解き、事故の凄惨な実態と生死を分けた要因を探ります。
墜落の瞬間:機内で何が起きたのか
福岡発羽田行きの日本航空350便は、順調なフライトを続けていましたが、着陸態勢に入った途端、機内で異変が起きました。複数の乗客が異様な揺れや音に気づき、不安に駆られました。機長自らが逆噴射装置を作動させるという異常事態が発生し、機体はコントロールを失い、滑走路手前の海に墜落しました。
alt="羽田沖日航機墜落事故の現場写真:滑走路手前に墜落した機体と救助活動の様子"
困難を極めた救助活動
墜落現場では、東京消防庁をはじめとする救助隊が懸命の救助活動を行いました。しかし、機体は大きく損壊し、可燃性ガスの濃度も高く、二次災害の危険性もある中で、救助活動は困難を極めました。
東京消防庁蒲田消防署の猪狩武警防課長(当時)は、機体に挟まれた乗客の救出劇を振り返り、当時の緊迫した状況を語っています。「空気の圧力で回転させるエアーソーを使いましたが、うまくいかない。乗客は腹部を圧迫され、だんだん弱っていきます。本部から退避命令が出ていましたが、救助を継続しました。」(週刊新潮 2012年2月16日号より)
座席のボルトを一つずつ外すなど、消防隊員たちはあらゆる手段を駆使して救助活動にあたりました。こうした懸命な努力により、多くの乗客が救出されましたが、残念ながら24名の尊い命が失われました。
生死を分けた要因:座席の位置と機体の損壊状況
事故から30年後の取材で、生存者の証言から、生死を分けた要因の一つとして座席の位置が挙げられています。亡くなった方の多くは機体前方に座っていた乗客で、溺死やショック死とみられています。客席が1列目から42列目まである中で、死者は前方から11列目までに集中していました。航空安全専門家の山田一郎氏(仮名)は、「機体前方の損壊が激しかったことが、死者の集中につながった可能性が高い」と指摘しています。
事故の教訓と安全対策の強化
羽田沖日航機墜落事故は、航空業界に大きな衝撃を与え、安全対策の強化が図られました。パイロットの訓練体制の見直しや、機体の安全基準の厳格化など、様々な対策が講じられています。この事故の教訓を風化させることなく、更なる安全性の向上に努めることが重要です。
最後に
30年以上が経過した今も、この事故は私たちに多くの問いを投げかけています。事故の真相究明と再発防止への取り組みは、これからも継続していく必要があります。この記事が、航空安全について考えるきっかけになれば幸いです。