NHKスペシャルドラマ「坂の上の雲」で描かれた日露戦争。壮大なスケールと緻密な考証で高い評価を得ていますが、史実とは異なる描写も存在します。今回は、203高地攻略における重要な局面で、児玉源太郎と乃木希典の友情が垣間見えるエピソード、そしてドラマの脚色について、史実を紐解きながら解説します。
ドラマと史実の相違点:謎の「一札」をめぐって
1904年11月29日、旅順203高地の攻略に苦戦する乃木第三軍を支援するため、満州軍総参謀長・児玉源太郎は現地へ向かうことになります。この時、総司令官・大山巌は児玉に「一札」と呼ばれる書類を手渡しました。
ドラマでは、この「一札」の内容が「予に代はり 児玉大将を差遣す 児玉大将の云ふところを 予の云ふところと 心得可し」と表示されます。これは谷寿夫の『機密日露戦史』を参考にしているようですが、実際には、この文言は松川敏胤(満州軍作戦主任参謀)が児玉に語った言葉として記録されているもので、「一札」そのものの内容ではありません。
alt="児玉源太郎と乃木希典の肖像写真"
では、真の「一札」の内容は何だったのでしょうか?それを解き明かす前に、児玉と松川の重要な会話について見ていきましょう。
児玉と松川の激論:旅順行きを巡る葛藤
ドラマでは、児玉の旅順行きを松川が反対するシーンが描かれています。しかし、このやり取りも史実とは異なる点があります。『機密日露戦史』によると、実際の会話は以下のようなものでした。
児玉は、乃木軍の窮状を救うため、旅順行きを決意し松川に伝えます。松川は児玉の旅順行きに反対しますが、児玉は強い意志を示します。ここで松川は、大山に「予に代り児玉を差遣す。児玉の云う所は予の云う所と心得べし」という内容の「一札」を依頼するよう提案します。
alt="日露戦争時の地図、旅順港と203高地周辺"
当初、児玉は「一札」は不要だと断りますが、最終的には松川の熱意に押され同意します。つまり、ドラマで「一札」の内容として描かれた文言は、実際には松川の提案だったのです。歴史研究家の佐藤氏(仮名)は、「このエピソードは、児玉と松川の信頼関係、そして乃木を救いたいという児玉の強い思いが表れている」と指摘しています。
真実の「一札」と二人の友情
では、「一札」の真の内容は何だったのでしょうか?残念ながら、具体的な文面は明らかになっていません。しかし、児玉が「一札」を受け取ったという事実から、大山が児玉に乃木への助言以上の権限を与えていたことが推測できます。
203高地攻略の難局において、児玉と乃木、そして大山、松川。それぞれの立場、そして友情が複雑に絡み合い、歴史の大きな転換点を迎えることになります。
この史実を知ると、ドラマ「坂の上の雲」をより深く理解し、楽しむことができるでしょう。ぜひ、皆さんもこの歴史的事件についてさらに深く調べてみてはいかがでしょうか。