イスラム組織ハマスによる人質事件は、多くの悲劇を生み出しました。解放された人質たちの喜びの裏には、想像を絶する苦しみと悲しみが隠されていたのです。この記事では、解放された人質たちの過酷な現実と、彼らを待ち受けていた厳しい運命について詳しく見ていきます。
妻子との再会を夢見て…解放後に知らされた残酷な現実
2024年1月8日、ハマスに解放されたイスラエル人質のうち、エリ・シャラビさん(52)とオル・レヴィさん(34)は、愛する家族が既にこの世を去っていたという事実を、解放後に初めて知らされました。シャラビさんは1年4ヶ月もの間、妻子との再会を夢見て過酷な監禁生活に耐えてきました。しかし、その願いは叶うことはありませんでした。妻のリアンさんと二人の娘、ノイヤさん、ヤヘルさんは、ハマスによる攻撃の直後、シェルターで遺体となって発見されていたのです。解放されたシャラビさんに、イスラエル国防軍の兵士が家族の死を伝えました。この悲報は、イギリスに住むリアンさんの両親、ジル・ブリスリーさんとピート・ブリスリーさんによってBBCに伝えられました。
解放されたエリ・シャラビさん
解放の瞬間、シャラビさんは「今日、妻と娘たちのもとに戻れるのがとてもうれしい」と壇上で語っていました。しかし、その喜びはすぐに深い悲しみへと変わりました。ブリスリーさん夫妻は、解放後のシャラビさんとビデオ通話で話をした際、彼は意識ははっきりしていたものの、声はかすれており、何度か言葉を詰まらせていたと語っています。
レヴィさんもまた、491日間もの間、妻のエイナヴさんとの再会を信じていました。しかし、その希望は打ち砕かれました。兄のミカエルさんによると、レヴィさんは解放後に妻の死を知らされたといいます。レヴィさんは、ガザ地区に近いイスラエル側の砂漠で開催されていたノヴァ音楽フェスティバルで拘束されました。イスラエル軍によると、エイナヴさんは、二人で隠れていたシェルターで遺体となって発見されたとのことです。
やせ細った人質の姿…解放後の健康状態に懸念
解放された3人のイスラエル人質のやせ細った姿は、家族だけでなく、イスラエル政府、野党政治家、そして多くの国民に衝撃を与え、怒りと懸念の声が広がっています。人質と収監者の交換を仲介する赤十字国際委員会も、解放される人たちの尊厳とプライバシーを尊重するよう求めています。
人質交換の現状と課題
イスラエルとハマスの停戦合意の第一段階では、ハマスが人質33人を解放する代わりに、イスラエルがパレスチナ人収監者1900人を釈放することで合意しました。1月19日以降、ハマスはガザで人質にしていた16人を解放。また、停戦合意とは別の取り決めで、タイ人5人も解放されました。イスラエル政府は、ハマスが2023年10月に拘束した251人のうち、73人の安否が不明であり、そのうち生存者は39人のみと推定しています。
解放されたパレスチナ人収監者の待遇についても、非難の声が上がっています。パレスチナ赤新月社によると、1月8日に釈放された183人のうち7人が病院に搬送されました。釈放された一人、ジャマル・アル・タウィル元アル・ビレ市長は、不起訴のまま収監が続くことに抗議してハンガーストライキを続けていましたが、解放直前に看守たちに殴られたと娘が証言しています。彼は刑務所を出た後、人工呼吸器をつけた状態でバスから病院へ運ばれました。
ハマスによる人質事件は、多くの人の人生を大きく狂わせました。解放された人質たちは、家族を失った悲しみ、長期間の監禁による心身のダメージを抱えながら、新たな人生を歩み始めなければなりません。私たちは、この事件の犠牲者たちを忘れず、平和な未来の実現に向けて努力していく必要があります。