【キーウ=倉茂由美子】ロシアのウクライナ侵略は、24日で開始から3年となる。占領地を拡大し、「ロシア化」を図る相手に対抗しようと、ウクライナではウクライナ人としてのアイデンティティーが強固となっている。ウクライナ語を守り、侵略の記録を出版することなどを通じて文化を守ろうとするもう一つの戦いが、静かに繰り広げられている。(敬称略)
2022年9月24日、ウクライナ東部ハルキウ州カピトリウカ村。ウクライナ軍によってロシアの占領から解放されて間もない村の庭先で、ウクライナの女性作家ビクトリア・アメリーナ(当時36歳)は、桜の木の下を必死に掘っていた。ようやく出てきたのは、筒状に丸められ、ビニール袋に包まれた紙だった。
中に入っていたのは、36枚にわたり、ウクライナ語でびっしりと書かれた日記。児童文学作家ウォロディミル・バクレンコ(当時49歳)が露軍勢力に連行される前日、庭に埋めて隠したものだった。その存在は、父(76)だけに伝えられていた。
<3月7日、三色旗を掲げた敵の縦隊がドネツク地方から進軍してきた。占領の困難な日々が始まった>
<故郷が、ラシスト(ロシアとファシストの造語)の占領の中心地になるとは思わなかった>
22年3月初め頃からの約3週間、露軍の占領で緊迫する村の状況や、自閉症の息子ビタリー(17)の様子が記録されていた。そして3月21日、余白を残したまま、こうつづられて途絶えた。
<空を飛ぶ鶴のさえずりがこう聞こえた。「全てはウクライナになる!勝利を信じている!」>
露軍の戦争犯罪の証拠集めに奔走する中でバクレンコの父に接触し、日記の存在を聞かされたアメリーナは、「この日記を世界に出すため、あらゆる努力をします」と約束した。そしてすぐにスマートフォンで撮影し、ハルキウの文学博物館へ送信した。たとえ自分がこの後、地雷で命を落としたとしても、この日記だけは残るようにと。