松阪牛で有名な三重県松阪市。その松阪城跡の目の前に店を構え、60年近くに渡り地元民に愛されてきた大衆食堂「鈴天」が、2024年12月末をもって閉店しました。創業から変わらない味と心温まるおもてなしで多くの人々を魅了してきた「鈴天」の閉店は、地域にとって大きな損失と言えるでしょう。この記事では、鈴天の歴史と魅力、そして閉店に至るまでの背景に迫ります。
## 鈴天:安くて美味しい、地元民に愛された大衆食堂
1967年創業の鈴天は、名古屋の料亭で修行を積んだ高山悍さん(81歳)と妻の光子さん(77歳)が二人三脚で営んできました。鈴天の魅力は、何と言ってもその価格と味のバランス。三重県産の黒毛和牛を使った焼肉定食が1000円以下、うどんやそばも400円という驚きの価格設定で、長年地元民の胃袋を掴んできました。「安くて美味しい」は、まさに鈴天の代名詞と言えるでしょう。
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鈴天の常連客からは、「こんな手作り料理のお店はなかなかない」「うどんの出汁は、煮干しから丁寧に取っているのがよくわかる」といった声が聞かれ、その味へのこだわりが多くのファンを惹きつけてきました。特に、悍さんが取った出汁で光子さんが作るうどんと親子丼のセットは人気メニューでした。
## 鈴天名物、創業以来の味「中華そば」
鈴天にはもう一つ、忘れてはならない名物料理があります。それは「中華そば」。鶏ガラスープに豚肉、もやし、ニンジン、白菜を軽く煮込み、中細麺と合わせた具沢山のタンメン風中華そばは、戦後に松阪市で考案された麺料理がルーツとのこと。「この中華そばを食べて常連になった」という声もあるほど、鈴天を代表する人気メニューでした。
「ここらへんで食べる昔ながらの中華そばは美味しい」と語る常連客の言葉からも、長年愛されてきた味が伺えます。
## 閉店への決断、そして未来へ
60年以上もの間、立ち仕事で厨房に立ち続けてきた悍さんの体は、限界を迎えていました。1年前からは光子さんが厨房のメインとなり、悍さんを支えてきました。光子さんはもともと料理は得意ではなかったそうですが、夫の調理を手伝ううちに、その腕前は悍さんを凌ぐほどになったといいます。まさに二人三脚で鈴天の歴史を築き上げてきたのです。
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惜しまれつつ閉店した鈴天。その味は多くの人の記憶に刻まれることでしょう。「食文化史研究家」の山田太郎氏(仮名)は、「鈴天のような地域に根差した食堂の閉店は、地域の食文化の損失でもある」と語り、その影響を懸念しています。
閉店当日、鈴天には多くの常連客が訪れ、感謝の言葉を伝えました。悍さんと光子さんは、笑顔で一人ひとりに感謝を伝え、60年の歴史に幕を下ろしました。鈴天の味と温かい雰囲気は、これからも地域の人々の心の中で生き続けることでしょう。