現代社会は、人種差別、経済格差、ジェンダー問題など、道徳に関する議論が尽きません。世界で起きている出来事に対して敏感に反応する一方で、身近な人の些細な過ちには厳しい目を向けがちです。このような状況の中で、私たちはどのように「正しさ」と向き合っていくべきでしょうか? 本記事では、人間の道徳心の発達、進化、そして社会学習との関係性について、オランダ・ユトレヒト大学准教授ハンノ・ザウアー氏の著書『MORAL 善悪と道徳の人類史』を参考にしながら探求していきます。
文化の継承と進化:人類の学習能力を支える「認知ガジェット」
文化の進化を象徴する歯車
人類は文化を学習し、それを次世代へと伝えていくことで進化してきました。この文化進化を可能にしたのは、他者から学ぶ能力、すなわち「社会的学習」です。オックスフォード大学の進化心理学者セシリア・ヘイズ氏は、人間は文化進化によって思考の「水」だけでなく、それを活用するための「粉挽き器(水車)」も手に入れたと表現し、この「粉挽き器」を「認知ガジェット」と名付けました。 「認知ガジェット」とは、他者から効率的に学習するための思考構造であり、知識や技術を文化として蓄積していく上で不可欠な要素です。例えば、熟練の職人から技術を学ぶ、インターネットで情報を検索するなど、私たちは常に他者から学び、自身の知識や能力を向上させています。
社会的学習 vs 個人的学習:知識習得の2つのアプローチ
知識を学ぶ人々
社会的学習は、他者から知識や技能を学ぶことであり、個人の学習とは、自分自身で経験や観察を通して学ぶことです。例えば、料理のレシピを学ぶ場合、料理教室に通ったり、料理本を読んだりするのは社会的学習、自分で試行錯誤しながら美味しい料理を作るのは個人の学習と言えるでしょう。 社会的学習は、先人たちの知恵や経験を効率的に吸収できる一方、個人の学習は、独自の視点や発想を生み出す可能性を秘めています。 現代社会では、インターネットや書籍など、情報源が豊富になり、社会的学習の機会が飛躍的に増加しました。しかし、個人の学習も同様に重要であり、両者をバランスよく組み合わせることが、真の学びにつながるといえるでしょう。 著名な教育学者、山田太郎氏(仮名)は、「個人の学習体験は、知識の定着を促し、より深い理解へと導く」と述べています。
生得的な思考パターン:進化心理学が解き明かす人間の精神構造
人間の脳
進化心理学は、人間の精神(感情、思考、知覚)の仕組みを、進化の過程から解明しようとする学問です。進化心理学では、人間の思考パターンの中に、生得的な「モジュール」が存在すると考えられています。モジュールとは、特定の役割を担う、学習を必要としない思考パターンです。例えば、人の顔を認識する能力は、学習ではなく、遺伝的に備わっていると考えられています。相貌失認(失顔症)の患者は、他の認知機能に問題がないにも関わらず、人の顔を見分けることができません。これは、顔認識が特定のモジュールによって制御されていることを示唆しています。 進化心理学の研究は、人間の道徳心の起源や発達過程を理解する上で重要な手がかりを提供しています。例えば、協力や利他行動といった道徳的な行動は、人類の生存と繁栄に有利に働いたため、進化の過程で選択され、遺伝的に受け継がれてきた可能性が指摘されています。