「自分だけが死ぬか、父を殺したりとか、母を殺したりとか、そういう選択肢しかなかった」15歳で両親を殺害した少年は当時のことを問われてこう答えた。
【写真を見る】「誰も死なないという選択肢は考えられない」幼少期の虐待・ネグレクトの末たどり着いた両親の殺害 15歳の少年が逃れたかった「恐怖と束縛」
なぜ少年は両親を殺害したのか。
裁判で語られたのは両親からの「虐待」。そして少年の「孤独」だった。
■「下僕」「バカ」と暴言 幼少期の両親とのいい思い出「ない」
事件があったのは去年2月。当時15歳だった少年は神奈川県相模原市の自宅で両親を殺害した。事件の背景にあったのは両親からの「虐待・ネグレクト」。少年は両親との生活を「辛いものだった」と法廷で振り返った。
弁護士:両親との生活はどうだった
少年:とても辛いものでした。暴言、暴力をふるわれました。
弁護士:暴力の時期は
少年:小1ごろから始まり、直接的な暴力は小学校卒業まででしたが、水や酒をかけられることは中学に入ってからもありました。
弁護士:暴言は具体的には
少年:小学生のとき日常的に「下僕」とか、名前の前に「バカ」とか、あと「根暗」「陰キャ」とか言われました。
弁護人:父とのいい思い出は
少年:全くないです。母に関しても思い出せるものがないです。
幼少期から長く続いたという両親からの暴言と暴力。
母親からは「産まなきゃ良かった」と言われたこともあった。
少年:小学校のころ母に「産まなきゃ良かった」と言われ、父に「若気の至りだ」とか言われた。自分がすごい汚いもののように思えますし、軽いものなのかなと思いました。
■家では家事のほとんどを担う 夕食は1人で「カップラーメン」
暴言や暴力に加え、少年がさらされたのは「ネグレクト」だ。
介護職の父と薬剤師の母はほとんど家事をしなかった。少年が家の掃除や洗濯をして、自分で料理もしていた。子どもなら誰しも楽しみにする弁当も作ってもらったことはなく、朝早く起きて自分で作っていた。
弁護士:弁当を作ってくれたことはあった
少年:なかったです。1回もないです。
弁護士:料理はなぜやり始めた
少年:自分がやらないと健康的な食事がとれないから。
弁護士:朝食は
少年:基本ないか良ければ食パン1枚。
弁護士:夕食は
少年:小学校のころはカップラーメンを食べてました。
弁護士:家族と食べていた
少年:一人で食べていました。