志村けんさん、思い出の自宅ついに解体…遺品整理の苦悩と兄の想い

国民的人気コメディアン、志村けんさん。突然の訃報から5年が経とうとしています。多くの笑いを届けてくれた志村さんの自宅が、この春、ついに解体されました。今回は、長年空き家となっていた自宅の解体に至るまでの経緯、そして、膨大な遺品整理に込められたご家族の想いに迫ります。

空き家となった志村邸、そして解体の決断

altalt東京都三鷹市の閑静な住宅街に佇んでいた、志村さんの自宅。赤いレンガ塀とピンクベージュの外壁が印象的なその家は、志村さんが30年以上も暮らし、多くの思い出が詰まった場所でした。しかし、志村さんの逝去後、長らく空き家状態が続いていました。時折聞こえる工事の音は、近隣住民にも寂しさを感じさせていたことでしょう。

志村さんのご自宅は、長兄の知之さん、そして次兄が相続しました。知之さんは奥様と共に、人目に触れないよう夜間に自宅を訪れ、家の管理を続けてこられました。しかし、昨年から知之さんの足腰が弱り、管理が困難になったことから、今年1月に大手不動産会社への売却を決断されました。

膨大な遺品と整理の難しさ

1987年に建てられた志村さんの自宅は、7つの部屋を備えた2階建て。当時3億円を超える価格で購入されたと報じられています。交友関係の広かった志村さんですが、自宅に人を招き入れることはほとんどなく、趣味の映画鑑賞やコントのネタ作りに没頭する日々を送っていたそうです。

altalt書斎やリビングには、大量のビデオテープやDVD、レコード、書籍が所狭しと並んでいました。また、俳優としても活躍していた志村さんの遺作となったNHK連続テレビ小説『エール』の資料や、初主演映画『キネマの神様』の台本なども残されていたことでしょう。

趣味の三味線にも熱心に取り組んでいた志村さん。自宅には、びっしりと書き込みがされた三味線のテキストが数多く残されていたといいます。努力家で知られる志村さんの一面を垣間見ることができます。

突然の別れと残された想い

2020年3月、新型コロナウイルスによる肺炎で志村さんが急逝されたことは、日本中に衝撃を与えました。あまりにも突然の別れに、自宅には志村さんが生前愛用していた品々がそのまま残されました。ビデオテープ、DVD、レコード、書籍、洋服、トロフィー、調理器具、食器…その量は膨大で、遺品整理は難航を極めたといいます。

知之さんはメディアの取材に対し、「物がありすぎて、どこから手をつければよいのかわからない」と、整理の難しさを吐露していました。ご家族にとって、一つひとつが志村さんとの大切な思い出の品。手放すことの辛さは計り知れません。

自宅の解体は、ご家族にとって苦渋の決断だったことでしょう。しかし、この決断の裏には、志村さんへの深い愛情と敬意が込められているに違いありません。志村さんの温かい人柄と数々の功績は、これからも私たちの心に生き続けていくことでしょう。