志村けんさん。日本を代表するコメディアンとして、お茶の間を笑いの渦に巻き込み、老若男女問わず愛された国民的スター。2020年3月29日、新型コロナウイルス感染症による肺炎でこの世を去ってから、5年以上が経ちました。今なお多くの人々の心に生き続ける志村さんですが、その遺産やゆかりの品々はどのような運命を辿っているのでしょうか。今回は、志村さんの三鷹の豪邸から愛車ロールスロイス、そして「志村けんの木」の行方まで、その軌跡を辿ります。
三鷹の豪邸:3億円の大豪邸が解体
志村さんといえば、麻布十番のイメージが強い方も多いかもしれません。しかし、1987年、当時3億円という巨額を投じて建築された三鷹の豪邸こそが、長年志村さんの生活の拠点でした。ピンクベージュの外壁が印象的な3階建ての邸宅は、番組収録後の深夜でも、志村さんが必ず帰る場所だったといいます。
番組制作会社幹部は当時を振り返り、「志村さんは30代後半でこの家を建てました。どんなに遅くまで飲んでいても、必ず三鷹の自宅に戻っていましたね。91年には、女優のいしのようこさんとの半同棲が報じられたのも、この家です」と語っています。
志村けんさんの自宅
しかし、この豪邸は、志村さんの兄・知之さんらが相続したものの、維持管理が困難となり、2024年1月に売却、3月には解体が始まったと報じられています。「女性セブン」(2025年3月20日号)によると、一部の愛用品も泣く泣く処分されたとのこと。長年志村さんを見守ってきた豪邸が姿を消すのは、寂しい限りです。
愛車ロールスロイス:14万キロの走行距離に刻まれた歴史
志村さんの愛車として知られる高級外車ロールスロイスも、豪邸売却と同時期に中古車会社に買い取られたといいます。運転手付きの2003年式ロールスロイス・ファントムロングは、麻布十番などで頻繁に目撃され、志村さんの夜の街への足として活躍していました。
芸能ライターによると、「中古車会社が2024年1月に志村さんのロールスロイスを買取したと発表しています。すでに14万キロ走行していますが、後部座席には志村さんが吸っていたと思われるタバコの焦げ跡なども残っており、ファンにとっては貴重な一品となるでしょう」とのこと。長年の相棒ともいえる愛車には、志村さんの思い出が深く刻まれていることでしょう。
「志村けんの木」:東村山のシンボル、その未来は?
志村さんの出身地である東京都東村山市には、「志村けんの木」と呼ばれる3本のけやきの木があります。1976年に東村山駅前広場に植樹され、市民に親しまれてきたシンボル的な存在です。しかし、駅前広場の再整備計画により、移植もしくは伐採される可能性が浮上しています。
これらの木々は、志村さんの故郷への想いを象徴する存在であり、多くのファンにとって大切な場所となっています。今後の動向が注目されます。
志村けんさんの記憶:今もなお、私たちの心に
志村さんがこの世を去ってから5年以上が経ち、ゆかりの品々が次々と手放されていくのは寂しい現実です。しかし、志村さんが私たちに残してくれた笑いと感動は、決して色褪せることはありません。数々のコントや番組、そしてその温かい人柄は、これからも私たちの心に生き続け、語り継がれていくことでしょう。