1995年3月20日。忘れもしないあの朝、私はいつものように日比谷線で高校に通っていました。満員電車の中、目の前に座る男性の異様な様子に気づいたのです。怯えたような表情、不自然に握られたビニール傘、そしてキョロキョロと周囲を見渡す視線。16歳だった私は、漠然とした不安を感じながら、その男性を観察していました。
違和感の正体
恵比寿駅に着くと、その男性は足早に電車を降りていきました。友人と「あの人、変だったよね」と話していると、男が座っていた場所に新聞紙の包みがあることに気づきました。そこからじわじわと液体が漏れ出し、私のローファーを濡らしていきます。「最悪…」と思った瞬間、息苦しさに襲われました。まるで水の中にいるように、呼吸ができないのです。
alt=地下鉄サリン事件当時の日比谷線の車内
恐怖の車内
ツンと鼻を刺す異臭が車内に広がり、咳き込む人も出てきました。床の新聞紙からは、今も液体が流れ出ています。中には20cmほどの容器らしきものが見えました。静まり返った車内と、不気味に広がる液体の対比が、恐怖をさらに増幅させます。友人の目にも、私と同じ恐怖が見て取れました。私たちは視線と身振りで「早く降りよう」と伝え合いました。
広尾駅での出来事
次の広尾駅までの短い距離が、永遠のように感じられました。駅に着き、扉が開いた瞬間、私たちはホームに飛び出しました。「電車を止めてください!」と叫び、駅員に車内で起きたことを伝えました。しかし、駅員は困惑した表情を浮かべるだけで、電車は走り去ってしまいました。うまく伝えられなかった無力感と、恐怖に襲われながら、私たちは駅を後にしました。
alt=地下鉄サリン事件の被害者であるアンナさん
あの日から得たもの
後に、あの日の事件がオウム真理教による地下鉄サリン事件だったと知りました。私は幸いにも軽症で済みましたが、多くの尊い命が奪われ、多くの方が後遺症に苦しんでいます。あの日の恐怖は今も鮮明に覚えています。
正義感と勇気
幼い頃から、正義感が強く、困っている人を見ると助けたいと思っていました。多国籍な環境で育ち、様々な文化や価値観に触れてきたことが、私の正義感を育んだのかもしれません。あの日、咄嗟に駅員に助けを求めたのも、その正義感からでした。
食の安全アドバイザーの山田花子さん(仮名)は、「未曾有のテロ事件は、私たちに多くの教訓を残しました。中でも重要なのは、危機管理意識の向上と、互いに助け合う社会の構築です。」と述べています。(出典:架空)
あの日の経験は、私の人生に大きな影響を与えました。恐怖を乗り越え、自分自身の正義感と勇気を信じて行動することの大切さを学びました。そして、平和な日常の尊さを改めて実感しました。
この事件を風化させないためにも、私たちはあの日の出来事を語り継ぎ、教訓を未来に繋げていかなければなりません。