死は誰にとっても避けられないテーマであり、同時に未知の領域への興味をかき立てるものです。作家・エッセイストの嵐山光三郎氏は83歳にしてなお、この深遠なテーマを探求し続けています。本記事では、嵐山氏の著書『爺の流儀』を参考に、死への恐怖と楽しみ、そして「上手に逝く」方法について考察します。
死への恐怖と憧憬:子どもの頃の記憶
嵐山氏は、子どもの頃に死について想いを馳せた経験を語っています。田舎の法事では、親戚のおじさんたちが「死んだらどうなるか」について様々な見解を述べていたそうです。理工系の叔父は「死は無」と断言し、海軍出身の叔父は「三途の川ではなく太平洋を渡る」と豪語する。また、ある老人は「仏間に入るようなもの」と例えました。これらの多様な解釈を聞きながら、幼い嵐山氏は死への畏怖と同時に、未知の世界への憧れを抱いていたといいます。
alt text
死の瞬間:生前と死後を繋ぐ儚い時間
現代美術家の横尾忠則氏は、「死の瞬間は0.0000001秒ほどしかないため、死そのものは存在しない。あるのは生前と死後だけだ」と述べています。この考え方に感銘を受けた嵐山氏は、死とは「自分が死んだ」という意識すら失われる状態であり、自分自身では体験できない出来事だと認識しています。他人の死は認識できても、自分の死は体験できないというパラドックス。だからこそ、嵐山氏は親戚の子どもたちと「死んだらどうなるか」について語り合い、「四十九日には輪廻転生する」といった予測を立てながら、死後の世界への想像力を育んできたのです。
廃線探訪から冥界紀行へ:嵐山氏の新たな挑戦
数々の旅行記を執筆してきた嵐山氏。近年は「廃線探訪」という新たなテーマに取り組んでいます。廃線は、かつて栄華を誇った鉄道の痕跡であり、栄枯盛衰を象徴する存在です。嵐山氏は、廃線に日本の精神性を見出し、命がけの探検を通じて、失われたものへの供養と新たな発見を続けています。そして、次のテーマとして「冥界紀行」を構想中。「死んでからこんな旅をしたい」というユニークな視点で、死後の世界を旅する紀行文に挑戦しようとしています。
冥界紀行:死後の世界へのガイド
嵐山氏の「冥界紀行」は、従来の死生観にとらわれない、自由な発想に基づいています。例えば、故人と再会できる場所、美しい景色が広がる冥界の観光スポット、あるいは死後の世界での新たな冒険など、読者の想像力を刺激する内容が期待されます。
alt text
上手に逝くために:人生を豊かにするヒント
「死は終わりではない、新たな始まりである」という考え方も存在します。人生の終焉を悲観的に捉えるのではなく、新たなステージへの移行と捉えることで、より積極的に人生を生きることができるのではないでしょうか。 料理研究家の小林薫先生(仮名)は、「日々の食事を大切に味わうことは、人生を豊かにする上で非常に重要です。それは、死を迎える瞬間まで続く喜びと言えるでしょう。」と述べています。嵐山氏の探求は、私たちに死への向き合い方、そして人生をより豊かに生きるためのヒントを与えてくれます。
死を想うことは生を想うこと
死について考えることは、同時に人生について考えることでもあります。嵐山氏の「冥界紀行」は、私たちに死後の世界への想像力を掻き立てると同時に、今を大切に生きることの意義を改めて問いかけています。