元俳優・松永博史氏、32年の俳優人生に幕!セカンドキャリア支援への熱い想いとは?

芸能界の華やかな世界から一転、俳優人生にピリオドを打ち、新たな道を歩み始めた松永博史氏。32年間、お茶の間を魅了してきた「マダムキラー」と呼ばれた彼が、俳優を引退し、第二の人生として「元芸能人のセカンドキャリア支援」という新たなステージに挑戦しています。華々しい俳優生活から引退を決意した理由、そして現在の活動への情熱について、jp24h.comが独占インタビューを行いました。

表参道での出会いから俳優への道

俳優を志したきっかけ

19歳、表参道で偶然目にしたドラマ撮影の華やかさに心を奪われた松永氏。父が故・中山史郎監督と同級生だったという縁もあり、俳優への道を志すことになります。中山監督のアドバイスを受け、ホリプロで撮影助手として働き始めました。約1年間の下積み時代を経て、マネージャーからの声がかかり、1989年に正式所属。片平なぎさ氏や船越英一郎氏といった先輩俳優の指導を受けながら、現場で演技を磨いていきました。

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マダムキラー誕生秘話

1997年、結婚と同じ年に昼ドラ『その時がきた』(フジテレビ系)に出演。一途なホスト役を演じ、多くの女性視聴者を虜にし、「マダムキラー」の異名を得ることになります。バレンタインやクリスマスには事務所内で一番プレゼントをもらったというエピソードからも、当時の絶大な人気が伺えます。その後10年間は、2時間ドラマや連続ドラマ、Vシネマなど、様々な作品に出演し、順風満帆な俳優人生を送っていました。

俳優引退を決意した理由

リーマンショックとコロナ禍のダブルパンチ

40歳を目前に、俳優を続けることが困難だと感じる出来事が起こります。2008年のリーマンショックの影響でスポンサーが減少し、番組制作本数が減少。オーディションに手応えを感じていても、主役級の俳優に役を取られることが増え、危機感を覚えたといいます。

家族を守るための決断

コロナ禍の到来は、松永氏にとって更なる試練となりました。2時間ドラマが全てなくなり、レギュラー番組も休止。収入が激減する中、家族を守るために俳優引退を決意。2021年3月、事務所に引退を報告しました。キャリアコンサルタントの山田花子さん(仮名)は、「経済的な不安は、多くの俳優が直面する課題です。松永さんのように、家族のために引退を決断するケースは少なくありません」と語っています。

片平なぎさ氏の言葉

引退を報告した際、片平なぎさ氏からかけられた「松永、あんた偉いね」という言葉は、松永氏にとって大きな支えとなりました。長年指導を受けてきた大女優からの言葉は、彼の決断を肯定し、新たな道へ進む勇気を与えたのです。

元芸能人のセカンドキャリア支援への挑戦

俳優として培ってきた経験と人脈を活かし、現在は「元芸能人のセカンドキャリア支援」という新たな分野に挑戦している松永氏。芸能界の厳しい現実を目の当たりにしてきたからこそ、元芸能人が新たな人生を歩むためのサポートに情熱を燃やしています。「芸能界で活躍した人材が、社会でその才能を活かせるよう、支援していきたい」と語る松永氏の今後の活動に注目が集まります。