アントニオ猪木、ブラジル移民の真実:実弟が語る知られざる少年時代と家族の記憶

アントニオ猪木。リング上のカリスマ、燃える闘魂。その名は今もなお、多くの人の心に刻まれています。しかし、その輝かしいイメージの裏には、これまで語られることのなかった真実が隠されていました。今回は、実弟・猪木啓介氏の著書『兄 私だけが知るアントニオ猪木』を元に、これまでベールに包まれていた猪木の少年時代、そしてブラジル移民の本当の理由に迫ります。誰も知らない「アントニオ猪木以前」の物語が、今、明らかになります。

貧困からの脱出? いえ、事実は違いました

「寛至はどうしてあんなことを言いだしたのかねえ……」

猪木啓介氏は、亡き母が繰り返し嘆いていた言葉を今も鮮明に覚えています。「あんなこと」とは、猪木家がブラジルへ移民することになった経緯についてです。アントニオ猪木は生前、ブラジル移民の理由を「家業の石炭商が傾いたため」と語っていました。しかし、実弟である啓介氏、そして母は、この説明に首を傾げていました。実際には、家業が傾いていた事実はなく、一家は経済的に困窮していたわけではなかったのです。

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裕福な家庭環境と父の急逝:運命を変えた出来事

猪木家は横浜市鶴見区の大きな家に住み、何不自由ない暮らしを送っていました。啓介氏も、ブラジルに渡るまで貧しさを感じたことはなかったと言います。父・佐次郎氏は鹿児島県出身で、関西大学卒業後、内務省に入省。その後実業家へと転身し、石炭商で成功を収めました。戦後は政界進出を目指していましたが、志半ばで急逝。これが、猪木家の運命を大きく変える出来事となりました。

猪木寛至、少年時代の素顔:知られざる一面

ブラジル移民の真相について、啓介氏は「兄貴は分かりやすいからそう言っているだけ」と母を慰めました。当時中学2年生だった猪木寛至少年が、移民の本当の理由をどこまで理解していたかは定かではありません。しかし、啓介氏の証言は、私たちに「アントニオ猪木」として世に出る以前の、等身大の少年・猪木寛至の姿を垣間見せてくれます。

ブラジルへの船出:新たな人生の始まり

1957年、猪木一家はブラジルへと渡りました。この決断が、後のプロレスラー、そして政治家・アントニオ猪木の誕生へと繋がる第一歩となったのです。 猪木家のブラジル移民の真実、そして猪木寛至少年の知られざる一面。 それは、燃える闘魂として世界を駆け巡った男の、もう一つの物語です。