はにかんだ笑みの女性たちが並んでいる町角のスナップ写真。セピア色にかすんだ画面の奥に、「トキワ荘」の文字が見えた。平成26年、この写真を目にした「としま南長崎トキワ荘協働プロジェクト協議会」の広報担当、小出幹雄さん(61)は、当時の興奮を今も覚えている。
「これはすごい写真ですよ。とうとう出てきた」
写真があったのは、東京都豊島区南長崎の伝統工芸士、松本正博さん(79)の家だ。松本さんはトキワ荘の向かいの長屋に住んでいた。写真は昭和20年代後半とみられ、手塚治虫のトキワ荘時代と重なっている。
「撮ったのは近所に住んでいたカメラ好きのお兄さんだと思う。長崎東映(映画館)の映写技師だった。女性たちは近所の住人。お兄さんは看板を撮ろうなんて思っていなかっただろうね(笑)」
小出さんが興奮したのは、トキワ荘の写真が地元でほとんど見つかっていなかったからだ。元住人の漫画家が写したものはあるが、地元からは昭和57年の解体途中のものしか出てこなかった。トキワ荘は昭和27年築で、手塚がいた初期の看板は貴重な資料だった。
「弟は小学生でトキワ荘によく行っていた。手塚先生にサインや絵を描いてもらった紙が家にたくさんあったが、みんなどこかに行ってしまったなあ」と松本さん。