10歳で天国へ旅立った娘…余命宣告を受けた家族の3年間、そして「頑張らなくていい」と伝えた母の想い【小児がん・脳幹グリオーマ】

幼い娘を小児がんという残酷な病で失った母親の、3年間の闘病記。余命宣告から、家族はどう向き合い、どんな時間を過ごしたのか。この記事では、10歳でこの世を去ったいろはちゃんと、その家族の物語を通して、小児がんという病気と向き合う現実、そして深い愛情について考えます。

余命半年…突然の宣告と家族の葛藤

元気いっぱいだった頃のいろはちゃん。スケートが大好きだった元気いっぱいだった頃のいろはちゃん。スケートが大好きだった

元気いっぱいでスケートが大好きだった、小川蘭さんの次女、いろはちゃん。練習中に異変を感じ、病院で検査を受けた結果、小児がんの一種「脳幹グリオーマ」と診断されました。脳幹に腫瘍ができるこの病気は、有効な治療法がない難病です。医師から告げられた言葉は、「余命半年」。突然の宣告に、家族は言葉を失いました。

余命宣告を受けた時の心境を語る小川蘭さん余命宣告を受けた時の心境を語る小川蘭さん

小川さんは当時の心境を、「現実のこととは思えず、医師の言葉が信じられなかった」と語っています。スケート講師の津留豊さんも、いろはちゃんの異変にいち早く気づき、すぐに小川さんに伝えたといいます。突然の病魔に襲われた少女と、その家族の闘いが始まりました。

病魔との闘いと家族の絆

闘病中も前向きに勉強や料理を手伝っていたいろはちゃん闘病中も前向きに勉強や料理を手伝っていたいろはちゃん

現実を受け入れながらも、家族は奇跡を信じ、治療を続けました。右半身に麻痺が出始めても、いろはちゃんは左手で勉強を続け、家族の料理を手伝うなど、前向きに過ごそうと努力していました。

しかし、病状は悪化の一途をたどり、小川さんは「娘が亡くなっていく」という現実を受け止めざるを得なくなりました。小児がん専門医の佐藤先生(仮名)は、「脳幹グリオーマは進行が早く、治療が難しい病気です。患者のQOL(生活の質)を維持しながら、家族との時間を大切にすることが重要です」と述べています。

大切な思い出と最後の言葉

覚悟を決めた小川さんは、残された時間を大切にしようと、家族旅行に出かけました。学校のこと、スケートのこと、そして日頃の想いなど、いろはちゃんとたくさん語り合ったそうです。

病状が悪化するにつれ、いろはちゃんの痛みは増していきました。ついに小川さんは、「頑張らなくていい」と娘に伝えました。いろはちゃんは、静かに頷いたといいます。

深い愛情と未来への希望

いろはちゃんは10歳という若さで、この世を去りました。深い悲しみに暮れながらも、小川さんはいろはちゃんと過ごした大切な時間を胸に、前を向いて生きていく決意を固めました。「小児がんの啓発活動を通して、一人でも多くの命を救いたい」と語る小川さんの言葉には、強い意志が込められています。

この記事を読んで、小児がんという病気について、そして、家族の愛の強さについて、改めて考えていただければ幸いです。