広末涼子さんといえば、近年は様々な報道で世間を賑わせていますが、90年代後半、彼女はまさに国民的アイドルとして輝いていました。今の若い世代には想像もつかないかもしれませんが、当時彼女の持つパワーは凄まじいものだったのです。この記事では、一世を風靡したトップアイドル広末涼子さんの軌跡を振り返り、当時の社会現象とも言える彼女の人気ぶりを改めてご紹介します。
社会現象を巻き起こした1996年
1996年、NTTドコモのポケベルのCMで鮮烈なデビューを飾った広末涼子さん。「この可愛い子は誰?」と瞬く間に話題となり、CM界、グラビア界の寵児となりました。「MajiでKoiする5秒前」「大スキ!」のヒット曲と共に紅白歌合戦にも出場し、その人気はまさに飛ぶ鳥を落とす勢いでした。
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当時大学生だった筆者は、大手広告代理店に入社が決まった途端、周囲の人々から「広末さんのサインもらってきて!」と頼まれるようになりました。大手広告代理店に勤めればトップアイドルの広末さんと簡単に繋がれると、誰もが思っていたようです。もちろん、そんなことはあり得ないのですが…。当時の広末さん人気を象徴するエピソードです。
広末涼子:時代を象徴するアイコン
当時のドラマ界には山口智子さん、和久井映見さん、深津絵里さんなど、人気女優が数多く活躍していました。しかし、周囲の人々が口にしたのは広末さんの名前でした。16歳という若さで、多くの人々に強烈なインパクトと圧倒的な好感度を与えていた証と言えるでしょう。
入社後の新人研修でも、広末さんの名前は頻繁に登場しました。研修課題で、実在する商品のプロモーション企画を立案した際にも、彼女をCMキャラクターに起用するという案が出たほどです。商品がアルコール飲料だったため、未成年であることを理由に却下されましたが、新人研修で名前が挙がるほど、広末さんは当時の若者の心を掴んでいたのです。
広告業界の視点から見た広末現象
当時の広告業界においても、広末さんは特別な存在でした。業界最大手の電通と博報堂の企画の違いを説明する際、博報堂は緻密なデータ分析に基づいた堅実な企画、電通は「どーんと行きましょう!」という大胆な企画というイメージで語られていました。
この「どーんと行きましょう!」の代表例として、広末さんを起用したCMが挙げられていたという話があります。真偽のほどは定かではありませんが、広末さんの存在自体が、大胆かつ革新的な広告戦略の象徴として認識されていたことが伺えます。
有名料理研究家のA氏(仮名)は当時の状況を振り返り、「広末さんは、まさに時代のアイコンでした。彼女の存在は、90年代後半の日本社会を語る上で欠かせない要素と言えるでしょう」と述べています。
広末涼子さん。一世を風靡したトップアイドルは、今もなお多くの人々の記憶に鮮明に残っています。彼女の輝かしい軌跡は、日本のエンターテインメント史に深く刻まれていると言えるでしょう。