国鉄時代の食堂車「サシ481形」、能登半島地震復興のシンボルへ!小松市に移設、新たな命吹き込まれる

かつて東北・北陸を駆け抜けた旧国鉄時代の食堂車「サシ481形」。国内に唯一現存する貴重な車両が、盛岡市から石川県小松市に移設され、能登半島地震からの復興のシンボルとして新たな命を吹き込まれることになりました。

食堂車「サシ481形」とは?

サシ481形は、1960~80年代に特急用電車485系などの食堂車として活躍しました。車窓からの景色を眺めながら、美味しい食事を楽しむ、まさに旅の醍醐味を味わえる空間でした。「鉄道旅行黄金時代」を象徴する存在と言えるでしょう。新幹線網の拡充に伴い、その役割を終え、徐々に姿を消していきました。多くの車両が解体される中、盛岡市在住の山崎賢一さん(71)が、1988年頃、青森県八戸市で「サシ481―48」と運命的な出会いを果たしました。

サシ481―48の食堂車と山崎賢一さんサシ481―48の食堂車と山崎賢一さん

山崎さんは、食堂車への熱い想いを胸に、盛岡市で軽食喫茶をオープン。手作りピザが評判を呼び、家族連れでにぎわいました。当時の食堂車を知る人々からは、「あの頃の旅情が蘇るようだ」と懐かしむ声が聞かれたそうです。鉄道ジャーナリストの小林弘之氏は「サシ481形は、単なる移動手段ではなく、人々の思い出と深く結びついた、特別な存在だった」と語っています。

能登半島地震をきっかけに、小松市へ

NPO法人「北国鉄道管理局」代表の岩谷淳平さん(49)は、SNSでサシ481形の存在を知り、2023年12月28日に盛岡市を訪れました。岩谷さんは「半世紀前の生き証人」である車両の保存状態に驚き、小松市での活用を構想していました。そして、2024年1月2日、能登半島地震が発生。この未曾有の災害を目の当たりにし、岩谷さんは復興への貢献を決意。山崎さんもまた、愛着のある食堂車を復興に役立てたいという思いから、岩谷さんに譲渡を申し出ました。

サシ481―48の食堂車の上に立つ岩谷淳平さんと山崎賢一さんサシ481―48の食堂車の上に立つ岩谷淳平さんと山崎賢一さん

クラウドファンディングで実現へ

移設費用捻出のため、北国鉄道管理局はクラウドファンディングを実施。多くの人々の支援が集まり、目標額を大きく上回る700万円近くもの資金が集まりました。このことからも、サシ481形への期待の高さが伺えます。

小松市での新たな役割

小松市では、既に旧国鉄の特急列車の先頭車両「クハ489―501」が展示されています。サシ481形は、この車両と連結され、イベントなどでキッチンや飲食スペースとして活用される予定です。

小松市で展示されているクハ489―501小松市で展示されているクハ489―501

地域住民の交流拠点となるだけでなく、県内外からの観光客を呼び込む新たな観光名所として、地域活性化への貢献も期待されています。「鉄道を通じた地域 revitalization」を推進する岩谷さんは、「サシ481形を復興の起爆剤にしたい」と意気込んでいます。歴史的価値を持つ食堂車が、能登の復興を力強く後押ししていくことでしょう。