NHK連続テレビ小説『ばけばけ』の第8週「クビノ・カワ・イチマイ」では、トミー・バストウ演じるレフカダ・ヘブンの文机に飾られた一枚の写真が、視聴者の注目を集めました。松野トキ(髙石あかり)が運んできたビール瓶が噴き出した際、ヘブンが真っ先に抱きかかえて守ったのが、他ならぬその写真立てだったのです。この出来事を通じ、トキはヘブンが写真の女性を深く大切にしていることを察し、その思いを代弁することでヘブンからの信頼を急速に高めていきました。
写真に写る女性は、シャーロット・ケイト・フォックスが演じるイライザ・ベルズランド。ヘブンの元同僚の記者です。しかし、なぜヘブンは彼女の写真をそれほどまでに大事にしているのでしょうか。物語の背景には、ラフカディオ・ハーン、すなわち後の小泉八雲と、彼が生涯にわたり厚い信頼と情愛を寄せたと言われる一人の女性との深い関係が隠されています。
ハーンが何よりも守った写真の女性、その正体とは?
ドラマでシャーロット・ケイト・フォックスが演じるイライザ・ベルズランドのモデルは、エリザベス・ビスランド(1861-1929)というアメリカ人女性です。彼女は、ラフカディオ・ハーン(小泉八雲)にとって、単なる元同僚という枠を超えた、特別な存在でした。ハーンが生涯を通じて最も厚い信頼と、さらには情愛を寄せた女性であったとされています。
ドラマ「ばけばけ」でイライザ・ベルズランドを演じるシャーロット・ケイト・フォックス
ラフカディオ・ハーン(小泉八雲)との深き絆
ルイジアナ州の大農場で生まれたビスランドは、南北戦争による困窮を機に文筆活動を始めました。ハーンの新聞記事に感銘を受け、ニューオーリンズのタイムズ・デモクラット社に入社。当時、同社の文芸部長を務めていたハーンと共に働き、やがて親交を深めていきました。この出会いが、二人の運命的な関係の始まりとなります。
ビスランドが日本へ、ハーンへの影響
ビスランドは、日本に関する知識においてはハーンの「先輩」でした。ニューヨークに移住した後、雑誌『コスモポリタン』の編集者だった1889年(明治22年)に、雑誌の企画で世界一周旅行に出発します。この旅の途中、サンフランシスコから太平洋を渡って横浜に到着し、日本に2日間滞在。その際、彼女は日本の文化と美しさに深く魅了されたといいます。彼女の旅行記は『コスモポリタン』誌に連載され、特に日本滞在記は写真入りで12ページにもわたって掲載されました。
ハーンが1890年(明治23年)に来日する前、彼は『古事記』の英訳を読んで日本への思いを募らせたという逸話が有名ですが、ビスランドの日本滞在記もまた、彼の来日への大きな後押しとなったとされています。さらに、ビスランドはハーンに直接、文明社会に汚染されていない日本がいかに清潔で美しいかを語り聞かせていたようです。彼女の言葉と体験が、ハーンの日本への情熱を一層掻き立てたことは想像に難くありません。
遠く離れても繋がった二人の「機微」
ハーンが小泉セツと結婚したのは1891年(明治24年)。同じ年、ビスランドもニューヨークで弁護士のチャールズ・ウェットモアと結婚し、遠く離れた地でそれぞれ所帯を持ちました。しかし、二人の交流はそこで途絶えることはありませんでした。その後も多くの書簡を交わし、深い関係を維持し続けたのです。ハーンの曾孫である小泉凡氏は、二人の間柄には「機微がある」と述べています。その言葉からは、単なる友情や同僚関係では説明しきれない、複雑で繊細な感情の繋がりが示唆されています。
結論
NHK朝ドラ『ばけばけ』で描かれるイライザ・ベルズランドとレフカダ・ヘブンの関係は、歴史上のエリザベス・ビスランドとラフカディオ・ハーンの間に存在した深い絆を映し出しています。ビスランドはハーンの日本への関心を育み、彼が生涯大切にする心の支えとなりました。彼女の存在は、ハーンの人生と日本文学における功績を語る上で欠かせないものであり、ドラマを通じてその深い「機微」に触れることは、作品をより深く楽しむための鍵となるでしょう。
参考文献
- 「噴出するビールから真っ先に守った写真」『週刊新潮』2025年11月24日号掲載 (Yahoo!ニュース記事: https://news.yahoo.co.jp/articles/77d68a6afa71e0829f31b5c544cf1d16e3af759d)
- 小泉凡『セツと八雲』(朝日新書)





