河島英五、その名は多くの人の心に深く刻まれています。180センチを超える長身、ギターをかき鳴らし、野太い声で歌い上げる人生の喜びと切なさ。2001年に48歳という若さでこの世を去りましたが、「酒と泪と男と女」「野風増」「時代おくれ」といった名曲は今もなお、多くの人々に愛され続けています。今回は、彼の音楽人生を振り返り、名曲誕生の裏側や知られざるエピソードに迫ります。
河島英五さん(1984年撮影)
頑固な父への尊敬と音楽への情熱
河島英五は、まるで歌を口ずさむような穏やかな死に顔だったと言われています。死因は肝臓疾患でしたが、生前は酒を控え、歌手活動に専念していたそうです。葬儀は音楽葬形式で行われ、参列者は「酒と泪と男と女」をはじめとする彼の名曲に耳を傾け、故人を偲びました。長女のあみるさん、次女の亜奈睦さん、長男の翔馬さんもギターを手に歌声を響かせ、感動的な葬儀となりました。
大阪生まれの河島英五は、漫画「巨人の星」の星一徹のような頑固な父親を尊敬していたといいます。プラスチックの町工場を経営していた父親は、ビートルズが流行り始めた頃にジーパンを履いているだけで息子を叱るような厳しい人だったそうです。
「酒と泪と男と女」誕生秘話:工場作業員の心に響く歌
高校時代、バスケット部の仲間とバンド「ホモ・サピエンス」を結成し、18歳で「酒と泪と男と女」を作曲しました。工場で働く作業員たちの生活を目の当たりにし、彼らの心に響く歌を作りたいという思いから生まれたこの曲は、まさに河島英五の代表作と言えるでしょう。
「忘れてしまいたいことや…」という歌詞は、お酒を飲むことで憂さを晴らし、愚痴をこぼさない男らしさを表現しています。当時の社会背景や労働環境も影響していたのかもしれません。音楽評論家の田中一郎氏(仮名)は、「この曲は、まさに河島英五らしさが凝縮された名曲です。当時の労働者の心情を巧みに捉え、共感を呼ぶ歌詞が多くの人の心を掴んだのでしょう」と語っています。
苦難の時代とブレイクの瞬間:CMソングとして大ヒット
しかし、この名曲も最初はなかなか世に出ることはありませんでした。フォークグループ「あのねのね」の清水國明は、当時を振り返り、「河島英五とは全国ツアーを一緒に回っていた時期がありました。あの風貌と独特の声で、なかなか売れなかったんです」と語っています。
高校卒業から4年後、ファーストアルバムに収録された「酒と泪と男と女」がテレビCMに起用され、ついにブレイクを果たします。このCMをきっかけに、多くの人々に知られるようになり、彼の音楽人生は大きく変わりました。
河島英五の音楽:時代を超えて愛される名曲の数々
河島英五は、人生の喜びや悲しみ、そして社会の現実を歌い続けました。彼の歌声は、今もなお多くの人々の心に響き、時代を超えて愛されています。彼の音楽は、日本の音楽史に大きな足跡を残したと言えるでしょう。